2011年10月13日 00:00

Canon NewF-1AE, NFD50mmF1.4
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昨日の記事をほんのちょっと踏まえつつ・・・。
昨日の記事をほんのちょっと踏まえつつ・・・。
フィルムとデジタルの違いを簡単に発見出来るのは映画だと思う。まぁ封切時期を知っていたらそれがフィルムで撮影されたものかデジタルなのか判ってしまうが、そうでなくとも何となくこれはフィルムだな、デジタルだなと感づいちゃうと思う。
簡単に言えばフィルムの方がボヤけている。良く言えば温かみのある像となるが、単純にデジタルよりも画質が鮮明でないんだと思う。
アラーキーが雑誌のインタビューだったか、自伝書であったか、はたまた何かのブログネタを読んだのか、「良いカメラ、良いレンズは綺麗に写り過ぎるから駄目」、そんな表現をしていた。前後の文章を思い出せないが、見たままが写ってしまうのが駄目、そんなような内容だったと記憶する。
見たままを綺麗に写したい、表現したい、これがカメラマンの心情であろうが、きっとそれだと風景をコピーしているに過ぎない、そんな思いからの発言なのかもしれない。
確かに映画を見るとそうなのだ。デジタル映画は全てが綺麗過ぎちゃう。これは屁理屈かもしれないが、綺麗なデジタル映画を見ちゃうと画面全てに目が行ってしまう、でもホンヤリとしたフィルム映画だとちゃんと監督、カメラマンが意図した風景だを見ちゃうのではなかろうか?。
90年代前半、トイカメラが大流行した。そして今はそれが単なる流行でなく、1つの写真、カメラの文化となりつつある。何故陳腐な像しか結ばないトイカメラがもてはやされるのか?。勿論、人と違った絵を撮りたい、そんなあまのじゃくな心があるからトイカメラが流行っていくのだろうが、人と違った絵・・・。
それは綺麗じゃないという点だろう。色相はぐちゃぐちゃ、ピントは1点にしか合っていない、もしくは全体に紗が掛かったようにボヤッとしているから、必然的に一番解像されている部分しか見なくなる。それが非常に新鮮に映ってしまうのではなかろうか?。
また「ゆるフォト」なんて言われるほんわかした写真や、クロスプロセス処理で色相を転ばせて不思議な風合いを出す、これらもトイカメラと同じ理由で流行っているんだと思う。
これを書くとフィルム愛好家から苦情が来そうだが、ブログに掲載されているフィルム写真、結局はスキャナーで読み込んでデジタル処理されたもの。屁理屈を言えば、それはもはやデジタルである!、それをフィルムで撮影したと言って掲載しちゃならない!、なるだろうが、そうでなく・・・。
こんなに鮮明に、綺麗に、ホワイトバランスも完璧にフィルムでは写らないだろう、そんな写真をたまに見掛け、それが何か違う気がしてならない。綺麗過ぎちゃう。ここまで綺麗に仕上げるんだったら、デジタルの方が得意、わざわざフィルムを使う事ないでしょと思っちゃう。
反対に上手くフィルムを理解されている、フィルムを忠実に再現したようなフィルムからの画像もある。何が違うのかと常々考えていたが、なんて言うのだろう、決して汚い画像でなく、まったりしているとでも表現しようか・・・。悪く言えば写真にキレがない。でもそれがフィルムっぽさに通じるんだと思う。
そんな時に思う。トイカメラの流行、アラーキーの語った、良いカメラやレンズを使っちゃ駄目って話は確かに当たっているかもしれないって。 どんなに古い、もしくは解像の悪いレンズでも光学的に故障していない限り、ピントの合っている部分はそこそこ鮮明に写る。でも周辺は各種収差によってボケたり、妙な色が出て滲んだりする。逆光に弱いレンズなら強烈なゴーストやフレアーが現れる。
ところがピントが合っている部分があるのだからそれは写真として成立する。でもデジタルカメラのようにシャープネス調節もコントラスト調節も出来ないから、ピントが合っている部分はあくまでもそのレンズの持つ解像力、コントラストの力でしかない。モノクロフィルムの場合、それを如何に見せるか、そこに現像、プリントテクニックがあるんだと思う。
Pentax最後の35mm一眼レフであるMZ-Sに描写が優れていると言われるスターレンズを装着したモノクロフィルムを用いた写真があったとしよう。現像、プリントテクニックも秀逸、でもきっとそんな写真はデジタルと大して変わりないんじゃないかと思う。違うとしたらきっと撮影者の信念が写真に乗り移ったと考えるしかなかろう。
本日の写真。実はカメラ、レンズデータはあくまでも「多分・・・」。この風景を撮影した時期と場所は何となく記憶にあるのだが、その時の機材をどうしても思い出せない。
ただこの頃、Canon NewF-1にワインダーを装着して、それが無骨でカッコ良く、どんな時にでも使っていたから、多分、NewF-1で、ならばこの手の風景はNFD50mmF1.4だろうなぁ~、程度の想像でしかない(笑)。
ゴミがやたらに付着しているが、これでも相当取り除いた。勿論レタッチで・・・。って事はこれは純粋なフィルム写真じゃない。勿論、スキャナーで読み込んだ時点でデジタル写真だが、ゴミ取りだってCGなのだから・・・。
簡単に言えばフィルムの方がボヤけている。良く言えば温かみのある像となるが、単純にデジタルよりも画質が鮮明でないんだと思う。
アラーキーが雑誌のインタビューだったか、自伝書であったか、はたまた何かのブログネタを読んだのか、「良いカメラ、良いレンズは綺麗に写り過ぎるから駄目」、そんな表現をしていた。前後の文章を思い出せないが、見たままが写ってしまうのが駄目、そんなような内容だったと記憶する。
見たままを綺麗に写したい、表現したい、これがカメラマンの心情であろうが、きっとそれだと風景をコピーしているに過ぎない、そんな思いからの発言なのかもしれない。
確かに映画を見るとそうなのだ。デジタル映画は全てが綺麗過ぎちゃう。これは屁理屈かもしれないが、綺麗なデジタル映画を見ちゃうと画面全てに目が行ってしまう、でもホンヤリとしたフィルム映画だとちゃんと監督、カメラマンが意図した風景だを見ちゃうのではなかろうか?。
90年代前半、トイカメラが大流行した。そして今はそれが単なる流行でなく、1つの写真、カメラの文化となりつつある。何故陳腐な像しか結ばないトイカメラがもてはやされるのか?。勿論、人と違った絵を撮りたい、そんなあまのじゃくな心があるからトイカメラが流行っていくのだろうが、人と違った絵・・・。
それは綺麗じゃないという点だろう。色相はぐちゃぐちゃ、ピントは1点にしか合っていない、もしくは全体に紗が掛かったようにボヤッとしているから、必然的に一番解像されている部分しか見なくなる。それが非常に新鮮に映ってしまうのではなかろうか?。
また「ゆるフォト」なんて言われるほんわかした写真や、クロスプロセス処理で色相を転ばせて不思議な風合いを出す、これらもトイカメラと同じ理由で流行っているんだと思う。
これを書くとフィルム愛好家から苦情が来そうだが、ブログに掲載されているフィルム写真、結局はスキャナーで読み込んでデジタル処理されたもの。屁理屈を言えば、それはもはやデジタルである!、それをフィルムで撮影したと言って掲載しちゃならない!、なるだろうが、そうでなく・・・。
こんなに鮮明に、綺麗に、ホワイトバランスも完璧にフィルムでは写らないだろう、そんな写真をたまに見掛け、それが何か違う気がしてならない。綺麗過ぎちゃう。ここまで綺麗に仕上げるんだったら、デジタルの方が得意、わざわざフィルムを使う事ないでしょと思っちゃう。
反対に上手くフィルムを理解されている、フィルムを忠実に再現したようなフィルムからの画像もある。何が違うのかと常々考えていたが、なんて言うのだろう、決して汚い画像でなく、まったりしているとでも表現しようか・・・。悪く言えば写真にキレがない。でもそれがフィルムっぽさに通じるんだと思う。
そんな時に思う。トイカメラの流行、アラーキーの語った、良いカメラやレンズを使っちゃ駄目って話は確かに当たっているかもしれないって。 どんなに古い、もしくは解像の悪いレンズでも光学的に故障していない限り、ピントの合っている部分はそこそこ鮮明に写る。でも周辺は各種収差によってボケたり、妙な色が出て滲んだりする。逆光に弱いレンズなら強烈なゴーストやフレアーが現れる。
ところがピントが合っている部分があるのだからそれは写真として成立する。でもデジタルカメラのようにシャープネス調節もコントラスト調節も出来ないから、ピントが合っている部分はあくまでもそのレンズの持つ解像力、コントラストの力でしかない。モノクロフィルムの場合、それを如何に見せるか、そこに現像、プリントテクニックがあるんだと思う。
Pentax最後の35mm一眼レフであるMZ-Sに描写が優れていると言われるスターレンズを装着したモノクロフィルムを用いた写真があったとしよう。現像、プリントテクニックも秀逸、でもきっとそんな写真はデジタルと大して変わりないんじゃないかと思う。違うとしたらきっと撮影者の信念が写真に乗り移ったと考えるしかなかろう。
本日の写真。実はカメラ、レンズデータはあくまでも「多分・・・」。この風景を撮影した時期と場所は何となく記憶にあるのだが、その時の機材をどうしても思い出せない。
ただこの頃、Canon NewF-1にワインダーを装着して、それが無骨でカッコ良く、どんな時にでも使っていたから、多分、NewF-1で、ならばこの手の風景はNFD50mmF1.4だろうなぁ~、程度の想像でしかない(笑)。
ゴミがやたらに付着しているが、これでも相当取り除いた。勿論レタッチで・・・。って事はこれは純粋なフィルム写真じゃない。勿論、スキャナーで読み込んだ時点でデジタル写真だが、ゴミ取りだってCGなのだから・・・。

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コメント
om4ti | URL | -
おはようございます。
私も、N-F1 使っていましたよ。
あの、重さと、ざらざら感と、どでかいミラー音が、好きで。
仕事で、写真を撮らなきゃいけない時は、このカメラを使っていました。
今でも、たまに、空シャッターはきってやります。
やっぱり、カメラはこれじゃなきゃあ~、って、思います。
フィルムの話で、ちょっと思ったのは、
映画の話で、
私はコッポラが好きで、
「ゴッドファーザー」が、すべての映画史上、最高の作品だと思うのですが、
この撮影は、わざと古いカメラで撮影したそうです。
たしかに、フレアの感じとか、
室内の撮影での、暗部が潰れている感じは、
なにか、映画の時代設定の雰囲気を醸し出しているようで、
コッポラは、すごい、
光と影の芸術だなあと、思うのです。
( 2011年10月13日 05:17 )
BigDaddy | URL | -
> om4tiさん
NF-1、F3、LX・・・、当時はこの3つが最高峰のカメラだと思っていました。何故NF-1を選んだかは実はあまり覚えておらず、単に外見、特に上述した通り、モータードライブでなくワインダーを装着した時のかっこ良さに惚れたのでしょうね。
ゴッドファーザー、コッポラにそう言った裏話があったのですね。これはもう一度見なくちゃなりませんね。子供の頃、テレビで何度か見ただけなので、大人になってどう感じるかでしょうか。
( 2011年10月13日 23:11 )
joy | URL | -
こんばんは。お邪魔します。
デジタルとフィルム・・・私にとっても永遠のテーマです。(笑
仰る通り、フィルムもスキャンした時点でデジタル写真・・・。
私もたまにスキャンしながらそんなことを思い、意味があるのかないのか
考えます。
しかし、あんまり深く考えても仕方がないので、自分の思うままに楽しむ事としました。
F-1・・・これもまたいいカメラですね。
私の手元にはシャッター鳴きの激しいA-1が現役で出番を待っております。
この写り・・・やはりデジタルカメラのそれとは違いますね。いい写真です。
( 2011年10月13日 23:56 )
BigDaddy | URL | -
> joy さん
ナショナルジオグラフィックのカメラマンはフィルムをスキャンしてさらにphotoshopなどで加工するカメラマンも多いそうです。プロの間ではフィルムもデジタルも表現する為の過程に過ぎず、むしろアマチュアの方が、お互いが相容れない、そんな雰囲気に感じる時がありますねぇ。
仰る通り、深く考えずに自分がやりたい事をやる、それが一番ストレスがたまらないのでしょうね。
シャッター鳴きのA-1、懐かしい言葉ですね(笑)。私は所持していませんでしたが、昔、良くその噂を聞きましたよ。
( 2011年10月14日 00:22 )
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