2011年10月08日 00:00

Pentax K10D, SMC P24mmF2.8
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24mmF2.8、APS-Cカメラだと36mmF2.8相当となる。いわゆる準広角、もしくは準標準と言われる広角の特徴と標準の特徴の両方を持つ、ある意味中途半端とも言える焦点距離・・・。
24mmF2.8、APS-Cカメラだと36mmF2.8相当となる。いわゆる準広角、もしくは準標準と言われる広角の特徴と標準の特徴の両方を持つ、ある意味中途半端とも言える焦点距離・・・。
これが不思議と下町に似合う。いや、不思議でも何でもない。路地と言った狭い場所で撮影する事が多いから、標準レンズだとどうしても捉えきれない風景も多い。近頃FA28mmF2.8AL(43mm相当)を良く持ち出すのもその理由の為。
この36mm相当の画角、だいたい私の撮る風景と言えば2~3メートル先の被写体。言い換えるとそれ以外の風景は苦手・・・。
だから24mmレンズ1本勝負、そんな散歩写真をしていると結構「見なかった事にした風景」が多くなる。17-70mmズームでのお散歩なら望遠側の画角は実質105mm以上となる。そりゃぁ見ている風景のほとんどを意の構図で切り取る事が可能だが、36mmの画角だけで勝負となるとそうも行かない。
これはどんな焦点距離のレンズでも同じ事が言えるのだろう。例えば50mmレンズ、これはPentaxの一眼レフに装着すると75mm相当となるから、渋い昭和の家屋があったとしてそれの全景を撮ろうとすると10メートル以上離れなくちゃならない。10メートル下がれれば下がるが、そうでなかった場合は、全景撮影を諦めて部品として壁や窓を撮るだけになってしまう。
だからマニュアルレンズ1本でのお散歩写真はフォトスローライフ等と何かお洒落な感覚にとらわれるが、実は物凄い無駄な時間を過ごしている事になる。そもそもこの言葉の原型ともなった「スローライフ」、これは自給自足を意味しているらしく、時間と戦うサラリーマンからするとまさに無駄な時間を強いられる。
なるほど、本家スローライフもフォトスローライフ、つまりは効率の悪い作業の代償として他に得るものがある、そんな事なのだろうな。
ではレンズ1本勝負、得るものは何だろう。
1、単焦点レンズを使っているんだと言う自負
カメラマンはこんな些細な事で心が豊かになる。心がときめく、辛い事があっても幸せだと感じられる!。
画質の面に於いては単焦点レンズの方に分がある(事の方が多い)、また単焦点レンズは自分の足で構図を見つける事になるので、ズームレンズよりも撮らされている感覚が減少し、多くのカメラマンに単焦点レンズ信奉がある。
だから単焦点レンズは面倒、それも1本だけで撮り歩く事に優越感を持ってしまう。単焦点レンズを使っているだけで何か写真が上手くなってしまうのではなかろうか、そんな錯覚にとらわれたり、単焦点レンズで写真を撮る事がステータスである、そう感じるカメラマンもいるのだろう。
2、そのレンズの特徴を覚える事が出来る
何しろ同じレンズと何時間も付き合うのだ。画角、遠近感、絞りによってのボケ具合、これらを否が応でも覚えちゃう。特に広角レンズや望遠レンズは画角に迷う事がある。ここだと思った位置が全くの見当はずれ、広角ならより近付かなくちゃならない、望遠ならより引かなくちゃならない事も多い。それが1本のレンズと付き合う事で体に染み込んでいく。
私は昔から50mmレンズを多用していたのでこのレンズを使えば被写体までのおおよその距離は判る、写真を撮らなくてもどんな風景が写るだろうか予想も付く。だからFA35mmF2(135換算で52mm相当)を使うとすんなりとシャッターを押せる(近頃は勘が鈍っているのだが)。
でもそれが24mmレンズ(36mm相当)となると、感じた以上に近く付かなくては思い描いた構図になってくれない。しかし、1時間も撮っているとそれに慣れちゃう。こういう作業を月に1度でも行う事で、自分の目が36mm相当になって行くのだろう。
そしてその画角が身に付く、これをカメラマンは撮影しながら感じているのだから、1に通じる。「自分の足で構図を見つけている」、そんな自負が生まれ、ご満悦、単焦点レンズを使っているだけでドヤ顔に発展する。
3、今までと違った構図を発見出来る
2に至る過程で「なるほど、こんな構図もありなんだなぁ」と感じる事が時折ある。ズームレンズだと自分の好みの画角にしてシャッターを押すだけなので、好きな構図でしか撮らない。でも単焦点レンズだと、前に寄れない、後ろに引けない、そんな状況が多々あるので、普段とは全く異なる構図で撮らざるを得ない。
そんな時、撮影中は「うーん、まぁ後でトリミングすればいいかなぁ」と消極的なパチリではあるが、自宅のパソコンで見ると、「おお!、意外といいんじゃないの?」、これは新たな自分を発見した、新たな挑戦材料が増えるのだから、写真の幅が広がっていく。
本日の写真もそんな1枚。普段ならこんな構図では絶対に撮らない。これは画角的に言うと標準レンズを使いたいところ(APS-Cカメラだから35mmレンズ)。劣化の激しい扉と植物と同化した自転車のみを切り取っていたと思う。
勿論、使用した24mmレンズでも一歩半近付けば同じような風景は撮れる。でも廃墟を撮る人間としてはおかしな話だが、なるべくなら個人の敷地内に入らないで写真を撮りたい、そう思うとこの構図しかない。またどうしてもこの構図が不愉快ならあとでトリミングしちゃえば済むし、モノクロ化して右側を焼き込んじゃえばいい。
でも自宅でこのコマを確認すると「これでもいいじゃん」と感じている自分がいて、もし今後こういう風景を見つけたら、ズームレンズを使用していても少し引いたこの構図も撮っておくべきだなと思い始めている。
この36mm相当の画角、だいたい私の撮る風景と言えば2~3メートル先の被写体。言い換えるとそれ以外の風景は苦手・・・。
だから24mmレンズ1本勝負、そんな散歩写真をしていると結構「見なかった事にした風景」が多くなる。17-70mmズームでのお散歩なら望遠側の画角は実質105mm以上となる。そりゃぁ見ている風景のほとんどを意の構図で切り取る事が可能だが、36mmの画角だけで勝負となるとそうも行かない。
これはどんな焦点距離のレンズでも同じ事が言えるのだろう。例えば50mmレンズ、これはPentaxの一眼レフに装着すると75mm相当となるから、渋い昭和の家屋があったとしてそれの全景を撮ろうとすると10メートル以上離れなくちゃならない。10メートル下がれれば下がるが、そうでなかった場合は、全景撮影を諦めて部品として壁や窓を撮るだけになってしまう。
だからマニュアルレンズ1本でのお散歩写真はフォトスローライフ等と何かお洒落な感覚にとらわれるが、実は物凄い無駄な時間を過ごしている事になる。そもそもこの言葉の原型ともなった「スローライフ」、これは自給自足を意味しているらしく、時間と戦うサラリーマンからするとまさに無駄な時間を強いられる。
なるほど、本家スローライフもフォトスローライフ、つまりは効率の悪い作業の代償として他に得るものがある、そんな事なのだろうな。
ではレンズ1本勝負、得るものは何だろう。
1、単焦点レンズを使っているんだと言う自負
カメラマンはこんな些細な事で心が豊かになる。心がときめく、辛い事があっても幸せだと感じられる!。
画質の面に於いては単焦点レンズの方に分がある(事の方が多い)、また単焦点レンズは自分の足で構図を見つける事になるので、ズームレンズよりも撮らされている感覚が減少し、多くのカメラマンに単焦点レンズ信奉がある。
だから単焦点レンズは面倒、それも1本だけで撮り歩く事に優越感を持ってしまう。単焦点レンズを使っているだけで何か写真が上手くなってしまうのではなかろうか、そんな錯覚にとらわれたり、単焦点レンズで写真を撮る事がステータスである、そう感じるカメラマンもいるのだろう。
2、そのレンズの特徴を覚える事が出来る
何しろ同じレンズと何時間も付き合うのだ。画角、遠近感、絞りによってのボケ具合、これらを否が応でも覚えちゃう。特に広角レンズや望遠レンズは画角に迷う事がある。ここだと思った位置が全くの見当はずれ、広角ならより近付かなくちゃならない、望遠ならより引かなくちゃならない事も多い。それが1本のレンズと付き合う事で体に染み込んでいく。
私は昔から50mmレンズを多用していたのでこのレンズを使えば被写体までのおおよその距離は判る、写真を撮らなくてもどんな風景が写るだろうか予想も付く。だからFA35mmF2(135換算で52mm相当)を使うとすんなりとシャッターを押せる(近頃は勘が鈍っているのだが)。
でもそれが24mmレンズ(36mm相当)となると、感じた以上に近く付かなくては思い描いた構図になってくれない。しかし、1時間も撮っているとそれに慣れちゃう。こういう作業を月に1度でも行う事で、自分の目が36mm相当になって行くのだろう。
そしてその画角が身に付く、これをカメラマンは撮影しながら感じているのだから、1に通じる。「自分の足で構図を見つけている」、そんな自負が生まれ、ご満悦、単焦点レンズを使っているだけでドヤ顔に発展する。
3、今までと違った構図を発見出来る
2に至る過程で「なるほど、こんな構図もありなんだなぁ」と感じる事が時折ある。ズームレンズだと自分の好みの画角にしてシャッターを押すだけなので、好きな構図でしか撮らない。でも単焦点レンズだと、前に寄れない、後ろに引けない、そんな状況が多々あるので、普段とは全く異なる構図で撮らざるを得ない。
そんな時、撮影中は「うーん、まぁ後でトリミングすればいいかなぁ」と消極的なパチリではあるが、自宅のパソコンで見ると、「おお!、意外といいんじゃないの?」、これは新たな自分を発見した、新たな挑戦材料が増えるのだから、写真の幅が広がっていく。
本日の写真もそんな1枚。普段ならこんな構図では絶対に撮らない。これは画角的に言うと標準レンズを使いたいところ(APS-Cカメラだから35mmレンズ)。劣化の激しい扉と植物と同化した自転車のみを切り取っていたと思う。
勿論、使用した24mmレンズでも一歩半近付けば同じような風景は撮れる。でも廃墟を撮る人間としてはおかしな話だが、なるべくなら個人の敷地内に入らないで写真を撮りたい、そう思うとこの構図しかない。またどうしてもこの構図が不愉快ならあとでトリミングしちゃえば済むし、モノクロ化して右側を焼き込んじゃえばいい。
でも自宅でこのコマを確認すると「これでもいいじゃん」と感じている自分がいて、もし今後こういう風景を見つけたら、ズームレンズを使用していても少し引いたこの構図も撮っておくべきだなと思い始めている。

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コメント
Taaku. | URL | -
雰囲気のある写真で、素敵ですね!
私も、単焦点レンズを所有してるのですが、確かに単焦点を使用しているという自負はありますねぇ。まぁ私の場合は全く腕無いので、単なる自己満足なんですが(笑)
( 2011年10月08日 18:16 )
joy | URL | -
こんばんは。お邪魔します。
区画整理が進む都会では、こういう風景も見られなくなりがちです。
何気ない日常の風景なのですが、郷愁に似た趣を感じます・・・。
単焦点・・・私もいつもそう思うのですが、保険にズームを鞄に忍ばせてしまいます。
撮影者の表現力が問われるレンズ・・・使いこなされているのが素晴らしいです。
( 2011年10月08日 21:36 )
BigDaddy | URL | -
> Taaku.さん
お褒め頂き、ありがとうございます。
単焦点レンズの場合、ある程度目的を持って使わないと単なる不便な道具ですからね。多少の自負は必ずあるんだと思います。自己満足で良いんだと思います。私も写真歴は長いですが、結果的には全て自己満足の気がします。
( 2011年10月09日 01:47 )
BigDaddy | URL | -
> joyさん
人間とは現金なもので、自分ちの周りは清潔で機能的であれなんて思いますけど、いざカメラを握ると、こういう風景を求め歩き、区画整理されると憤慨しちゃうんですよねぇ。
この前も中野駅周辺の飲み屋路地が解体されていてかなりショックでした。雰囲気のある小路だったのですが・・・。
保険でズーム、なるほど、心境良く判ります。でも使わない事、多くないですか?。私も以前はズームもバッグに忍ばせていましたが、単焦点で行く!、と決めちゃうと使わない事が多く、要するに見なかった事にする風景が増えるだけなのですが、だったら機材を軽くしちゃおうと今は単焦点レンズ2本だけ、そんな散歩もしています。
( 2011年10月09日 01:59 )
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