にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です

今更ながら2016年の夏季休暇 矢ノ原湿原

2017年09月19日 00:00

矢ノ原湿原

矢ノ原湿原


Lumix GX7, G14-45mmF3.5-5.6


※ブログに視覚要素を加えるlightboxを導入しています。上記画像をクリックすると少し大きな画像をポップアップして見る事が出来、暗くなった部分をクリックするか、画像下部のCloseをクリックすると元に戻ります。



本題へ入る前にRawTherapeeネタ。

前回の記事の冒頭にてRawThepraeでLensfunが使えるようになり、Lightroomにないレンズプロファイルも存在しているで使い勝手が増したと書いた。

色々と調べるとLesfunの一番の長所は「自分でレンズプロファイルを作れる事」のようだ。幾つか方法はあるのだが、歪曲だけを補正するのなら Hugin - Panorama photo stitcherをインストールし、その中のcalibrate_lens_gui.exeを使うと簡単にレンズプロファイルを作れる。

試しにLightroomにもLensfunにもプロファイルが無かったsmc PENTAX 28mmF2.8とsmc PENTAX 55mmF1.8、これで撮影された写真を元にcalibrate_lens_gui.exeを使って歪曲補正用数値を導き出し、その値をLensfunのxmlファイルに加えてやったら果たして上手くいった。

単焦点レンズの歪曲補正だけなら補正用の直角に交差した線のある写真(しっかりとエッジのある写真じゃないと駄目)を用意出来、やり方を理解した上での作業時間はcalibrate_lens_gui.exeとテキストエディターを使って1分。詳細はいずれまた!。

では本題へ。

当初、南会津に下りる予定は無かった。 前回の記事の沢のある森、これを只見町では「恵みの森」と呼んでいる。そしてもう1つ、只見町お勧めが「癒しの森」。ここは沢は無く、森の中をただひたすら歩く・・・。

ところが行ったはいいけど、森を歩くって感じじゃないんだ。ただのトレッキング。延々と左右に深い木々があるだけの見通しの悪い狭いトレッキングロード。

「えっ?、つまんねぇよな?、ネットの紹介写真と全く違うよな?、いやいや、こちとら登山じゃないし!」

入り口から10分歩いて引き返してしまった。写真も1枚も撮っていない。何て言うかなぁ。確かに深い森なのだが、木々が密集し過ぎていて材木置き場の中を歩いているような感じでぜんぜん面白くなかった。恐らく、1~2時間歩けば写真に映えるような風景にめぐり合えたのだろうが、そういう根性は持ち合わしていない。

そこで2時間くらいぽっかり空いてしまったので、じゃぁちょっと走るけど2013年にも訪れて半周しかしなかった矢ノ原湿原に行くか!。

いや、当初は駒止湿原に行く予定だった。ここも2013年に訪れて時間が無く半分くらいしか回れなかった場所。ところが前年だかの台風だかで駒止湿原に行く全てのルートが土砂崩れを起こしており、車では行けないとの事。ならばって事で第二候補の矢ノ原湿原になったのだった。

矢ノ原湿原を第二候補と言っちゃ失礼だな。駒止湿原は太陽がとっても似合う「陽」、矢ノ原湿原は反対に雨がマッチする「陰」のイメージ。とにかく渋い!。湿原と言うよりも自然豊かな沼を周遊する、そんな感じ。

行ってビックリ。3年前には無かった駐車場が出来ている。しかも馬鹿でかい!。トイレも無茶苦茶綺麗だ。行政が観光に相当力を入れているみたい(今は知らないが、この湿原、2013年当時は個人の所有地だった筈)。

さて、この矢ノ原湿原の道沿いにこんな標がある。


2017-09-11-02


私が好きなのは室町時代末期から江戸幕府創設までの戦国時代であり、幕末に関しては「庶民の文化」にはとっても興味があるものの、政治等が絡んだ歴史そのものには疎い。戊辰戦争に関しては小学教科書レベル程度の知識しか持ち合わせていない。

2013年、会津を旅し、柳津を訪れた際、有名なお寺を参拝した。そこで会津藩の守備隊が本陣を敷いたなんて初めて知った。今も尚、本殿には銃弾の跡がある。不思議だったんだ。周囲に主要地域の無い矢ノ原湿原もそうだし、何故只見川沿いの柳津が戦場となるのか?。会津での戦いは会津若松、城下町周辺で行われたものばかりと思っていた。

そうでなく会津藩は他国に向かう幾つかの主要な街道に守備隊を置いていたようだ。現代人が「町でドンパチするのなら判るけどこんな秘境で何故戦があったんだ?」と首を捻っても、当時は主要の街道筋だったから当たり前なのだろう。確かに新政府軍の進軍ルートを見ると会津に向かう街道全て、四方八方から攻め込んでいる。

どうやら大きなルートは今でも鉄道が走っている。東北本線に東部鬼怒川線、野岩鉄道からの会津線、そして只見線である。つまり、那須方面からのルート、日光方面からのルート、そして新潟方面からの3つから攻め上がっていたようだ。

矢ノ原湿原のような秘境・・・、と書いたが、那須から上がってきた新政府軍とは三斗小屋で戦っていたらしい。関東にお住まいで山男、山ガールはご存知だろう、三斗小屋温泉の三斗小屋である。私もかつて茶臼岳経由で訪れた事があり、その頃でも秘境中の秘境、そんな場所が三斗小屋温泉。戦地となった三斗小屋の宿は温泉のある山中ではなくその麓との事だが、それでも秘境には違いなく、誰も昔こんなところで戦争があったなんて誰も想像しないだろう。

江戸からは今の東北本線のルートで奥州街道の白河経由で猪苗代湖を舐めて会津若松へ、もしくは日光から田島を経て南会津からのルートよりもこの山越えの三斗小屋ルートの方が距離が短かったらしく、参勤交代にも使われた当時は主要のルートの1つであったようだ。

日光、田島を経て南会津経由で会津若松へのルートが会津西街道と呼ばれている。有名な大内宿もこの会津西街道の宿場町の1つ。

その街道が元禄時代に災害にあり、通行止めを余儀なくされ、そこで新たに整備したのが会津中街道、それが三斗小屋を含む山越えルートであったらしい。

そして会津西街道が再整備された後、江戸時代後半には物見遊山、周辺は山登りや温泉を楽しむ街道としてある程度賑わっていたようだ。
そんな訳で新潟から入ってくるルート(今の只見線)、日光から南会津を経たルート(今の会津線)からも攻められたのだから、柳津(柳津の寺は断崖絶壁にあり、砦として都合が良かったのだろう)や、矢ノ原湿原も戦場となるのは当たり前と言っちゃ当たり前なのだろう。私が無知なだけ。

とは言え、地図を見ると判るが、矢ノ原湿原は只見線と会津線に挟まれた昭和村にある。田島から会津若松に攻めるには当然、今の会津線のルートを辿るのが普通。何故そんな場所が戦場となったのか?。

調べてみた。これは会津軍が頑張って政府軍が敗走した先がどうやら矢ノ原の辺りだったそうな。結果的には政府軍が持ち直し、今度は会津藩が敗走する事になる・・・。

時に、2016年 只見線の旅 只見線橋梁と会津塩沢駅にて、河井継之助の事を少し書いている。この時は「誰だよ、河井って?」であったが・・・。

なるほど、会津戦争は戊辰戦争の局地戦、これと同じく佐幕派の長岡藩(新潟)でもその局地戦として政府軍との戦い、北越戦争が勃発し、それを指揮していたのが河井継之助なんだと!。では何故新潟の人間が福島県の只見町で猛プッシュされているのか?、北越戦争で敗走し、福島県の只見町で息を引き取ったんだって。

旅をすると常に思う。その地方の歴史を予習してから行くべきか否か。柳津では昭和風情の町並みに興味を持って訪れた。矢ノ原湿原はネイチャーフォトを撮る為、何度も訪れた大内宿でさえ、単に宿場町そのものが残っている、と言う文化的見地から興味があっただけ。河井継之助だって上の通り、「只見町はやたらにこの人推しているなぁ、誰だよ!」ってな具合。

勿論、学んでから行くのが最適であろうが、歴史を予習するとそれは旅ではなく単なる名所史跡観光、そう考えている。観光が悪いとは決して思わないが、初めて訪れる地は無学であるべき、無学だからこそ、その時の感覚のおいて行きたいところにしか行かない、そんなスタイルの私だ。

今回のように旅を終えた後、少しでも疑問に思ったら調べ学ぶ。そして次に訪れた時にこの学びを利用して復習として名所、史跡を巡れば良い。今後、会津を訪れる際は今回の調べを反芻し、各地を訪れようと思う。河井さん主体で旅をするのなら司馬遼太郎の「峠」も読まなくちゃならないだろう。

まぁ、私のように知識ゼロで訪れるよりも、大内宿でも単に江戸風情を堪能するだけ無く、官軍がここを通り、会津若松を目指していた、なんて知識があればそれはそれで面白いとは思うが・・・。

司馬遼太郎の作品は嘘も多く、あれを歴史書として捉えちゃならない、彼の坂本龍馬像なんて半分近く嘘なんじゃないかと思う。司馬遼太郎もそれ以前の坂本龍馬に関する資料を漁りながらの執筆だったろうが、その資料そのものがまがい物、嘘、偽りだったりもしたろう。

龍馬なんてグラバーと同じただの武器商人でしかない!、剣豪だったなんて100%嘘!、近江屋事件も狙いは中岡だったなんて説もある(面構えだけを見れば中岡慎太郎の方が遥かに剣豪)なんて話もあり、とにかく歴史小説は信じちゃならない。

また恐らく「峠」ではヒーロー扱いの河井継之助にしても長岡を火の海にして己だけ敗走したA級戦犯であり評価に値せず、なんて話もあったりする。まぁこれこそ「勝てば官軍、負ければ賊軍」でしかないのだが・・・。

勿論、小説だけでなく、学校の歴史の教科書にも誤りが多く、最新の研究では「あの話は間違いだった」なんてのも仰山ある。何年か前にビックリしたのは「聖徳太子は架空の人物」・・・。

厩戸王と言う聖徳太子とされている人物がいた事だけは確かだが一般に知られている聖徳太子伝説はどうやら・・・、そんな話。少なくとも「聖徳太子」と言う名称は今後、教科書から消える可能性があるらしい。まじかよ!、1万円札は何だったんだ?。

鎌倉幕府だって私の時代じゃイイクニ作ろう鎌倉幕府だったのが、今はちと違うそうな(ただ、征夷大将軍任命はこの年であり、イイクニで良いと思う、それ以前はプレオープンの時代と考えたい)。

だから司馬遼太郎だけが悪い訳じゃなかろうが、結果、私個人は曖昧過ぎる歴史には興味が無く、証拠が確実に残っている「文化」が好きなのだった。

そう言えば今回の件を調べるにあたり、あの悲劇の白虎隊・・・、恥ずかしながら今の今まで隊全員が自決したものとばかり思っていたが、そうじゃなく、新撰組に一番組、二番組とあるように、白虎隊にも一番隊、二番隊・・・(合計6つ)、とあり、飯盛山の悲劇は士中二番隊で戦死、自決したのはその中の半数程度だったようだ。
そうそう、冒頭に幕末の歴史は小学生レベルと書いたが、実はここ数年で中学生レベルくらいまでに上がっている。

数年前、東京は板橋をお散歩写真した際、近藤勇の墓所を見た。昔からここにあるのは知っていたが、初めてお参りをした。そこでほんの少し新撰組に興味を覚え、数ヶ月、新撰組について調べた時期があった。新撰組を調べれば全てが幕末の歴史に繋がると言っても良いくらい。またヒストリーチャンネルが毎年のように幕末特集をやるんだ。何気に見ているだけでも知識は増える。

そんな訳で本ネタ、記事としてそこそこ成立したと思うので、矢ノ原湿原の写真をどうぞ。

そうだ、ネイチャーフォトを撮ろう!ってまたかぶれたぜ!

これは2013年に訪れた際のもの、今日のトップ写真は上記事トップ写真とほぼ同じ位置からほんの少し左に向いて撮影している。2013年はAPS-Cの28mmレンズで135換算43mm相当で切り取り、2016年はm4/3の16mm、135換算32mmで撮影した。


矢ノ原湿原

2017-09-11-03


草原のように見えるが湿原

2017-09-11-04


雨が降ってきやがったぜ!

2017-09-11-05


昨年、皆さん覚えておいでだろうか?。今年の真逆、関東、東北地方が梅雨明けしたのは7月の29日だか30日。毎年その時期に旅に出ており、初日こそ晴天に恵まれたが、それ以降、最終日までは天気が不安定で連日、通り雨、夕立に遭遇。この日も降ってきやがった。

すでにOlympus E-M5markIIは手元にあったが、連れがメインに使っている。私のその時の機材はLumixとPentax。そしてフィルムカメラのPenatax 645。K-5だけが防塵防滴で他はボディもレンズも・・・。

でも用意周到。湿地帯と言う事もあり、長靴はしっかりと履いていたし、合羽もリュックに放り込んでいた。機材をくるむタオルも準備。いずれにせよ、上記、草原のように見える場所を抜ければ、再び深い森の中。でも今思えば、昨年のこの夏季休暇の旅で機材は防塵防滴であるべき、そう悟ったんだろう。


森に入れば濡れない

2017-09-11-06


はい、一周、おしまい!

2017-09-11-07


にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へ
にほんブログ村のランキングに参加中です



コメント

  1. のっぽ親父 | URL | ibdEl2N.

    全く、全く 勉強せずに全て行き当たりバッタリで出かけて撮る僕には耳が痛いお話です。(笑)
    知識を持って見る景色は違うのだろうと反省しています。もっとも最近は撮影に出かけることが少ないのですが。。。

  2. BigDaddy | URL | -

    > のっぽ親父 さん

    私も本文の通り、ほとんど勉強せずに出掛けます。せいぜいそこの観光パンフレットを見るのと、Googleのストリートビューとかで周辺の風景とかはチェックするくらいです(笑)。

    例の蓬莱橋だって偶然訪れた訳で、そういう方が旅としては面白い気がします。

  3. ピンぼけ小僧 | URL | es1fYYdE

    司馬遼太郎は歴史小説家であって歴史学者じゃないのに、マスコミが学者のように取り扱ったからおかしなことになってますね。
    長岡を火の海にした疫病神は河井継之助と山本五十六で、河井継之助と共同戦線を張った長岡藩次席家老の家に養子に入ったのが五十六です。
    歴史好きなんですが、人間関係を調べるといろいろと新しい発見があります。

  4. BigDaddy | URL | -

    > ピンぼけ小僧 さん

    池波正太郎の小説ともなると読む側も娯楽だと割り切って読み物として楽しみますが、司馬遼太郎の場合は仰る通りマスコミが大きく持ち上げた事もあるのでしょうね。信じちゃう人も多いのだろうなと。

    五十六の件は初めて知りました。なるほど、五十六生誕、そして墓地があるから、カリスマを叩け!、ってんで空襲を受けた、そんな噂もあるんですね。地元の方の中には今もそうだと頑なに信じておられる方もいらっしゃるのでしょうね。

    人間関係を知って面白いと思ったのは苦手の幕末でした。知識のほとんどはヒストリーチャンネルなんですが(笑)、新撰組の人間関係を知ると確かに面白いなぁと感じましたねぇ。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)