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MarkIIじゃないOlympus E-M1を買ってもぉた~レビューその21
  僕と手振れの150日戦争 試行錯誤の日々

2017年08月02日 00:00

E-M1の手振れ補正の性能テストネタはまだ続く。

テストは25mm(135換算50mm)の焦点距離を使い、2.5メートル先の被写体に対して低振動Lドライブモードを利用し10枚を連写。これで何コマ止まるか・・・。

開戦から10日を過ぎた頃、ふと今まで連写した写真を眺めていて気が付いた事があった。

手持ち撮影で10枚連写していると高速シャッターでも構図は微妙にずれていく。どうやら私の癖で連写すればする程、右下がりの写真になる。これは連写すればする程カメラの左側がどんどん下がっているのを意味する。

また1枚目、2枚目は止まっている、もしくは微ブレているだけなのに枚数を重ねる毎にそれが小ブレになりブレブレへと・・・。そんなパターンが多いのが判った。

これは連写の最中、息を止めているので体が緊張、硬直し、体全体が高周波の揺れを起こしているのだろうと推測した。人間ってそういうものでしょう?。止まる事を意識すればするほど無駄な力が入り意に反して揺れてしまう。そこで10枚1セットでなく5枚1セットの連写に切り替えた。

カメラがどんどんと左が落ちてしまう点、これはグリップを握る右手側の力が足りない、もしくはカメラの傾きを修正する左手の添え方が悪いのだろう。

そこで力の入れ具合、これを色々と試した訳だ。ぶれる、ぶれないの話でなく、5枚連写しても構図がほとんど動かないようにするには右手と左手の力のバランスをどう配分するか?、構図が動かなくなれば同時にブレも軽減されるだろう。

これは正しかった!。これは皆さんにもお勧めしたい。連写するとどんどんと構図が右に曲がったり左に曲がったりするような方は「先ずは」何枚連写しても構図が大きく変化しないカメラの構え方、これを体で覚えるべきだ。それをマスターしない限り、1秒の壁は破れないと断言しても良い。

連れは逆なんだ。連写すればする程、写真が左に曲がっていく。つまり彼女の場合、左手と右手の力のバランスは私と正反対を意味するのだろう。

これで1/4秒と1/3秒はかなりの確率で止まるようになった。10枚連写しても息を止めるのはほんの数秒だから構図がずれないカメラの構え方をしてさえいれば平均して高確率で止まるようになった。

ところがである!。1/2秒の確率が悪い。かなり止まるようになったものの、出来不出来が激しい。5枚連写で4枚も止まってくれたり、1枚も止まらなかったり・・・。数日費やしても平均すると30%の確率しか出ない。この数字では2/3秒、1秒なんて夢の夢。

200枚、300枚とテスト撮影していると次第に力の配分が判ってきて、確率は1/2秒でも平均40%を超えてくる。でもこれで万歳しちゃ駄目なんだ。翌日同じテストをすると今度は20%以下に落ちてしまう。そして数百枚撮影し続けると再び40%に戻る。2週間くらいは、これの連続。

これだと実践では一切使えない。何しろ5枚、10枚連写してはパソコンでブレのチェックをし、それにより力を配分を変え、数百枚撮影したところでやっと体がその配分を覚えるのだから・・・。しかもそれは1時間過ぎただけでまた忘れちゃう。

人の感覚なんていい加減でしょう?。例えば右手8、左手2の力で撮れば止まる!、そう確信しても1時間後には自分では8:2で撮っているつもりでも実際には7.5:3.5とか8.5:1.5になっちゃっている訳だ。

人は動く事への順応性は無茶苦茶高い。子供の頃、自転車に乗る訓練を思い出せば良い。1度でも10メートル以上介助なしに漕げれば、今まで転んでいたのは何故?、と思うくらいスイスイ走れるようになったでしょう?。それはスキーでも水泳でも一緒。ところが「止まる」、これがどうやら人は苦手のようだ。ピタリと止まる感覚が全く身に付かない。

ふとあの時を思い出した。

小学校の低学年、ピアノ教室主催のピアノ発表会なるものを経験した。演目はベートーベンのトルコ行進曲。途中、ポップスで言えばBメロのような調子が変わる部分があり、この部分が苦手で10回演奏して2~3回はミスる。でも発表会前日前にはしっかりと意識さえすればなんとか滞りなくクリア出来る程になった。

ところがその発表会の場所ってのがてっきり区民会館の小さなホールを貸し切ったこじんまりとした催し、お客さんもせいぜい数十人だろうと思ったら、やたらにでかいなんちゃら会館な訳。たまげたよね!。要するにその先生の生徒さんってのが何十人もいちゃったから、その家族、友達も含めるとお客さんも数百人!。

※その先生のリサイタルも兼ねていたのか?、先生のファンも会場にいたみたいだ、花束まみれの先生の図は覚えている

それまで人前でピアノ演奏した事がなかったからそりゃぁビビるわな。考えて御覧なさいな。大人の今でも数百人の目、耳が自分だけに注がれる、注目されるのだ。5人編成のロックバンドで気楽にアドリブ演奏している訳じゃない。譜面に従ったクラシックピアノ。大人になってからかなり図太い神経を持ったつもりだが、かなりの緊張を強いられるだろう。

しかも家や教室で弾いていたアップライトピアノとその会場にあったグランドピアノの鍵盤のタッチが全く違う訳。一音出しただけで「うわぁ、いかん!、このタッチ、気持ち悪っ!」。とにかく家で覚えたタッチの感覚が全く役に立たない・・・。もう頭、真っ白よ。

しかも自分よりも小さい子達が先に演奏するのだが、まぁ誰もミスらない。上手に弾いちゃうの。さらに私がお子ちゃまの時代って男がピアノを弾くなんて珍しかった。多分そのピアノ発表会でも数人しかいなかったと思う。私自身もピアノを弾く自分が恥ずかしくてしょ~がなかった時代。そういうのが重なり合った時のド緊張感・・・。

本番になって袖から出てお辞儀したまでは今でもはっきりと覚えている。でもその先、全く記憶に無い。聞くところによると一度も失敗せずにおおよそ完璧に演奏を終えたらしい。最後もちゃんとお辞儀をして袖に引っ込んでいったって(笑)。

つまりピアノ演奏は体を動かすんだ。上手下手は置いといて、機械的に弾く程度なら観客が数百人いようが鍵盤のタッチが異なっていようが体(指)が覚えている。でも写真を1秒のシャッタースピードで止める、これは体を動かすのでなく止めなくちゃならない。その感覚は身に付き辛い。

こうなると「修行?」って思っちゃう。修業じゃなく修行だ。恐らくこれは心の問題(精神的な問題)だから悟りを開かない限り、1秒で止まる写真を撮れないんじゃなかろうか?。カメラを持ってテストするのでなく座禅やヨガで第三の目を開かせるくらい精神を鍛えた方が良いんじゃないかさえと思ってしまう。

時に・・・。ピアノ発表会。上のエピソードがトラウマになった訳ではないが、ひたすら駄々をこねまくり、小学校6年の初めまでピアノ教室に通っていたものの、以降全ての発表会に欠席。その後お受験を迎えピアノをやめ、中学に入りギターを始めるのだった。

いやぁ、E-M1でも1秒で止める写真を撮る、道はまだまだ長く険しい。


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