2022年11月10日 00:00
前回からようやく2022年秋の旅シリーズが始まった。そこに掲載している写真、恐らく皆さん、、、
「ド派手だなぁ~」
と感じられるだろう。今日はこういう事を含めて写真文化とはなんぞや?、そんな話を非アカデミックに、自己主張満載でお届けしたい。
「ド派手だなぁ~」
と感じられるだろう。今日はこういう事を含めて写真文化とはなんぞや?、そんな話を非アカデミックに、自己主張満載でお届けしたい。

Pentax K20D
Sigma 17-70mmF2.8-4 OS HSM

Canon EOS30D
EF-S17-55mmF2.8

Pentax K-5
Sigma 17-70mmF2.8-4 OS HSM

Pentax K-5
Sigma 17-70mmF2.8-4 OS HSM
私は「RAW現像派」だ。万が一に備えてRAWファイルの他にJPGファイルもSDカードに記録し((SDカードの不良なのか何度かRAWファイルが壊れていた時があったから)、それをハードディスクに保存している。けれどまず見た事がない!。Lightroomでカタログ化しているのはRAWファイルだけ。ブログでネタにする際「ほ~ら、撮って出しの発色って糞でしょ!」、そんな比較をする時くらいだろうか、見るのは・・・。
「中には撮って出しJPGでも優れている写真があるぞ!」
確かにパッと見て「これ、このままでいんじゃないの?」と思う写真はあるのだろう。でもそこからさらに一手間加えた方がより良い写真になる、Lightroomで霞の除去だけするだけでも良く、カメラメーカーお仕着せの写真なんて一切興味がない。
「各メーカー、画像解析プロの開発陣が造り上げたJPG(写真)だからそれに勝るものはない!。再現像をするとこれもやろう、あれもやろうと作り過ぎた絵になって結果メーカーのJPGの方が優秀だったりする」
必ずそんな事を言い出す人がいる。いやいや、笑止!。自分好みの写真を作るのが「悪」などと言った風潮は糞喰らえである。料理本でもそうじゃないのかな?。レシピ通りに調理するよりもそれを元に自分の好きな味付けをした方が美味い。
ファッションでも同じかな?。今はファッション雑誌は読まないけれど若い頃はそれなりにトレンドを追い掛けたりもした。でも雑誌が提供する「もてる男のうんたら~」、「これからのトレンドはかんたら~」、それをそっくり真似する?。我々はマネキンでもなく雑誌モデルでもないんだ。それらと同じ。各カメラの撮って出しJPGもあくまでも「一般的に良いとされているだろう」、そんな100点満点中の80点レベルの写真しか提供出来ない。
写真って数学や物理、化学と言った学問じゃないのだよね。数値(各カメラメーカーのカラープロファイル)だけでは優れたものなんて出来ない。「優れたもの」、これは人それぞれ異なるから「自分好みの写真」と表現しようか。所詮、写真の好き嫌いは感性である。
撮って出しJPG派を嫌っているのではなく、、、
「Pentax、Canon、Nikon、Lumix、Olympus、Sonyのデジタルカメラを使ってきたが、撮って出しJPGで満足した事が一度もない」
たったそれだけのお話である。
そんな私も2010年前半まではJPG派だった。これはケチケチ星人だったから。当時、SDカードはまだ高かったのだな。RAWファイルを保存するにはそれ相応の金額をSDカードにつぎ込む必要があった(たった数千円ではあるがケチはその数千円を使わない)。だから逆光とかどうしても失敗しちゃならない写真、そんなのを除いたら全部JPGのみの保存だった。
それでも仕事柄、Photoshopは確かVer3から使っていたし、LightroomもVer2だったかVer3だったかを使っていたからJPGの写真でもそこからレタッチで色々と修正を加えていた。良くJPGファイルを加工すると画像が劣化するからやめた方が良いと言うアホがいるけれど、そういう輩に限って実際に検証した事ないでは?。そんなの微々たるもんだって!。肉眼でそれが判るなんて人がいたら彼はきっと加工され上書きされ劣化したJPGファイルを見抜ける特殊な才能を持った超能力者である。でもそんな超能力者がいても世界が平和になる訳じゃなく、むしろ煙たい存在でしかない。
2010年後半からは常にRAW保存。その頃何があった?。忘れもしない2010年の夏、「足尾廃墟探訪の旅」である。この時は2000枚近く撮影している。だから全てのコマはJPGファイルのみの記録にとどまった。ところがおうちに帰ってガッカリですがな!。この時、Pentax K20DとK-7を使用しており、この2機種は露出に大きな問題のあるカメラではなかったので露出で大きく外した写真は少なかったものの、そもそもJPGファイルでは表現し切れない、そういう風景が結構あったんだ。
それを機に1000枚でも2000枚でもRAWファイルを保存出来るくらいのSDカードを購入し、2010年後半から「RAW現像派」になったのだった。ケチケチ星人でも買う時は買う!。
ここでちょっと余談。
「Pentaxのレンズは純正に限る!」
これも感覚的なものだから断言するとちょいとビビッてしまうが、これまでずっと安いレンズメーカーのレンズを積極的に使っていた。その足尾の撮影ではTamronの18-200mmF3.5-6.3を使っていたし(実は糞レンズであるのだが)、その後はSigma 17-70mmF2.8-4がメインレンズだった(このレンズも実は糞・・・)。
反面、連れは純正派で本ブログで常に糞と言っちゃ糞に失礼、糞未満でしかないDA18-55mmF3.5-5.6、その後はDA17-70mmF4(これは名レンズ!)をメインレンズにしていた。足尾の時は私がK20D、連れがK-7を主に使っていたのでカメラの差かな?、と思っていたのだが、互いがK-5を使い出して判明した事がある。
「Pentaxのレンズで撮影した写真は色が深い!」
同じカメラ、同じカスタムイメージ(カラープロファイル)、同じ露出でほぼ同じ構図で撮影していてもSigma 17-70mmよりもDA17-70mmの方が深い色になるんだ。言い換えるとSigmaのレンズが非常に浅い発色なのが判った。レンズによって発色の違いがある、これは理解していたが、自分のレンズでそう感じたのはこの時が初めて。
しかしそんな違いもRAW現像すれば差はなくなる。だから今後も本当はSonyのZeissブランドのSonnar 55mmF1.8が欲しいけれど、お安いFE50mmF1.8でいいやぁ~、このように安価なレンズばかりを使うだろう。ほれっ!、価格.comとかでクソミソに嫌われていたOlympusのM.Zuiko 17mmF2.8や12-50mmF3.5-6.3を今でも平気で使っているから・・・。
レンズに関しても数値ではない。あくまでも感性であり、本人が良しとすれば世間で駄レンズと呼ばれていても問題はないんだ。そんなレンズに優しい私でも唯一不快なのが像面湾曲しちゃうレンズ。像面湾曲をご存じない方は調べてちょ!。上述DA18-55mmF3.5-5.6は何度か更新されたが一向に改善されなかったし、Pentax使用晩年メインレンズのSigma 17-70mmF2.8-4も鬼酷い像面湾曲があった。これらは糞です!。使っちゃいけない!。
私が突然DA17-70mmF4の前のモデル、DA16-45mmF4を何故購入したか?、ただみたいな金額で入手出来た事もあるが、Sigmaのレンズに愛想が尽きたから(Sigmaでも他のレンズはこれほど酷い像面湾曲はない)。このレンズは像面湾曲の他、逆光で「著しく」コントラストが下がるのでAFが迷ってピントが合わずシャッターを押せない、そんな事象も多々あった。そりゃ捨てたくなるわな。
もし再びPentaxの一眼レフを手にするとしたら・・・。ボディはKP、そしてレンズはDA18-135mmF3.5-5.6である。このレンズ、A4プリントでも判るんじゃないかと言うくらい特に広角側の四隅は笑っちゃうくらいお粗末。景色が完全に流れちゃう。でも像面湾曲はしないし、色乗りも良く、また望遠側は35mm判換算で200mmを超える、簡易防滴機能もあり、これ1本でどうにでもなる!。KPが中古市場でもっと安かったら真剣に考えていたシステムである。
おっと話が逸れてしまった。元に戻そう。
「忠実色、記憶色」なる言葉も私には意味がない。忠実色に拘るメリットを感じず、求めているのは記憶色よりも上を行く「希望色、妄想色」とでも言おうか?。
「この風景はこう発色しているべきだ!」
そんな意識が強い。さすがについこの前撮影してきた裏磐梯の写真、紅葉していない緑の葉に赤や黄を着色する、そこまではしないものの、強調はする。また一年経ったら当時の状況なんてなんとなく覚えているだけで、だったらビシバシと赤はより赤に、黄はより黄に仕上げる。
こういう事をやたらに否定する人がいる。
「だったらモノクロ表現なんて嘘八百だから私よりもモノクロな人々を徹底的に糾弾したらどうだい?」
でも違うらしいんだ。モノクロは写真文化、歴史として認められているからデジタルでオッケーなんだと!。馬鹿馬鹿しい。頭硬過ぎでしょ。それでいてFujfilmのクラシッククロームがドキュメント、スナップ向きとかアホな事を抜かしたりする。クラシッククローム、あれだけ彩度を落とすなんて嘘八百じゃん。
モノクロ写真が文化ならばデジタル写真になってからのレタッチ、現像、これもデジタル写真での文化でしょう?。数十年経たらそれが歴史にもなる。
それに我々は写真史を学んでいるのではなく趣味で写真を楽しんでいているのだからぶっちゃけ文化とか歴史とかど~でもいいんじゃないの?。むしろ文化にも歴史にも刻まれないオンリーワンを目指した方が面白くないだろうか?。
勿論、正しい知識は必要だ。Fujifilmカメラのカラープロファイルであるフィルムシミュレーション。ベルビアとかプロビアとか最近ではクラシックネガが加わった(すでにRawTherapee用のカラープロファイルでクラシックネガが作られていて当然どんなカメラにもそれをセット出来る)。その中のベルビア、プロビア、アスティア、これらはフィルム時代のベルビア、プロビア、アスティアではなくデジタル時代のベルビア、プロビア、アスティアでしかない。そういう認識は持っていた方が良い。
だからこそ「Fujifilmデジタルカメラのベルビアは俺の知っているベルビアではない!」、そう感じ、「俺のベルビア」を作り上げたくなる。これこそ「ベルビアはこうあるべきだ!」、なる希望、妄想色だ。他人が「それはベルビアの発色じゃない」と文句を垂れても聞く耳を持つ必要がない。
「お前のベルビアではなく俺のベルビアである」
自信を持ってそう言い切れば良い。
フィルム時代のベルビアを知らない方が「Fujifilmカメラのベルビアはいいぞ!」、これは仕方がない。しかしそんな時こそしっかりと歴史を見つめるべきではなかろうか?。わざわざフィルムカメラを新調してベルビアを通す必要はなく、ネットでちょいと調べればフィルム時代のベルビアで撮影された写真を見つけられるし、クラシッククロームも然り、ビンテージコダクロームの発色をネットで探せばその違いを理解出来る。違いを知った上で「撮って出しJPGのクラシッククロームが好き」、そう感じればそれで良いし、「あれっ?、ビンテージコダクロームの方が味わいあるじゃん」と思えばRAW現像を学べば良い。
Fujfilmのカメラにクラシッククロームが搭載された際、海外で「クラシッククロームはコダクロームか!?」と話題になったが、海外でも知らない人は知らない訳だ。初期のコダクロームはどうやらこれに近いとは言われているようだが、我々一般がイメージするコダクロームは「コダクローム64」である。そうなると明らかにクラシッククロームとイコールではない。
話を進めよう。かつて価格.comの掲示板だったかツイッターなどのSNSだったか・・・。
「RAW現像している暇があったら写真を撮るべき」
そんな言葉を吐いていた輩がいた。何という短絡的な間の抜けた思考なのだろうか?。RAW現像は写真を撮る合間に行うものであり、RAW現像派が写真撮影を削ってまでRAW現像に固執していると思っているのだろうか?。またきっとこういう人は撮影した写真全てを再現像していると思い込んでいるのだろうな。お馬鹿さん過ぎる・・・。
こういう思考の輩からするとうちのブログを見ても、、、
「ブログを書いている暇があったら・・・」
とか考えているのだろうな。
RAW現像もブログを書くのも趣味である。写真という趣味の中のひとつの要素に過ぎない。近頃アウトドアに夢中であるが、カメラを持たずして山に登ったりトレッキングしたり・・・、そんなのあり得ない。写真と言う趣味があるからアウトドアも楽しめるんだ。帰宅後、「そうそう、この山道が足にきたんだよなぁ~」とぶつぶつ言いながら趣味の現像を始める・・・。
自分の中でもど~でも良い事なので記憶が曖昧。確か「クロスプロセスなる現像法が面白いらしい」、そんなネタを仕入れ、AdobeのCamera Raw用のクロスプロセスを模倣したプリセットを仰山集めて、それを当時夢中になっていたとあるSNSでこんな感じになるとか発表したのかな?。すると、、、
「実際にクロスプロセスで現像した事のない人間がトレンドだからとデジタルで再現しようなんて若い世代に迎合しているだけ」
そんなような事を言われたんだ。きっとその方はずっと以前からクロスプロセスを楽しまれていたのだろう。そんな人間からすると私は「にわか」でしかなく、上から目線で今で言うマウントを取ろうとしたのだろうな。
でも考えてご覧よ。当時もネットでちょちょいと調べるだけでクロスプロセスがどんな写真になるのかが簡単に判った。それで、、、
「ちょっと面白いかも・・・、なるほど、世界ではすでにそれをデジタルでやっちまおうって人が沢山いるではないか!、だったら俺も!」
そうやって挑戦している人間に対して出来た人間ならば、、、
「本物はもうちょっとこうやってああなって・・・、可能ならば実際にフィルムカメラでやってみるべし!」
そう言った指南をしてくれる。でも彼女(そう、相手は女性)はそれが出来ないクズ人間だったのだな。そして現実を見られない頭がお花畑な人だったのかもしれない。その頃、デジタルのクロスプロセスは海外では当たり前のように使われていて、その後、Pentaxがカスタムイメージにクロスプロセスなカラープロファイルを盛り込んだり、「デジタルでのクロスプロセス」、これがひとつのコンセプトとして認められた。それを不快に思うような人間だったのだろう。合掌・・・。
だから本ブログでも撮って出しJPG派を否定はしていない。人それぞれ何をどうしようか勝手だからだ。RAW現像派に食って掛かる一部のアホな撮って出しJPG派に「あんたはアホだ」と噛み付いているだけ。でも大多数の優良な撮って出しJPG派に対して「RAW現像を学べば世界が広がるよ!」、そう言い続けている次第である。
本日掲載している写真達は全て現実ではあり得ない風景である。どれも晴天ではあったが、霞んで濁った青空だったり、半逆光で空が白っぽかったりと綺麗な青空を望めなかった残念な写真達。でもRAW現像すれば非現実的であろうが、ひとつのアートとして成立すると思う。撮って出しJPG派からすると写真ではなくコンピュータグラフィックになるのだろうが、海外ではこういう風景も写真として認めてくれる人達がいる。
イチローだって4割もヒットを打てない。勿論、万人が「スゲェ!」と言ってくれればウキウキする。しかし10人いて3人が「非現実的でも面白いかも!」、そう感じてくれるだけで十分だ。なんだったらこれらの写真、真っ赤な夕焼け写真にも割と簡単に変更出来たりもする・・・。そうなると何が本当で何が嘘か?。
そもそも論。
「写真に真実を見出そうと考える事が誤り」
YouTubeでの動画にせよ、アウトドア系になるとみんなGoProみたいなのを使うけれど、超広角な画角でしょう?。魚眼っぽくなっていたりもして、これだって嘘てんこ盛りな映像なんだ。
今回の写真達は大胆に空を強調しているので誰もが嘘の風景だと理解出来る。しかしある程度抑えた現像をしたら誰もが「こういう風景の元でカメラを構えたのだろう」と感じてくれる。たとえそれが薄曇りや逆光下だったとしても「青い空の下でパチリした運の良い奴」と思ってくれる。
「如何に上手にばれないような嘘を吐くか?」
これこそが写真の本質だろう。本日掲載しているひまわりの写真。ひまわり畑で撮影したように見えると思う。しかしもしかしたら構図に写っていない部分に民家だの畑だのがある極普通の町で撮影した風景かもしれない。ドームが写っている写真の添景に一台の車。こんな都合の良い位置に止まってくれるか?。また本当は緑色の塗装かもしれないし、実は手前に何台も車があり邪魔だから消しているのかもしれない。こんなのは今の時代、簡単にレタッチ出来る。
RAW現像ソフトやレタッチソフトは、、、
「嘘だと見抜けないくらいまで写真を撮影者の意図を加えるツール」
そしてRAW現像とは上の言葉通り、、、
「如何に上手に嘘を吐くか?」
その為の手段である。
フィルム時代でも我々カメラマンはずっと嘘を吐いてきた。
フィルムの性質で彩度やコントラストを決める
モノクロフィルムを使う
モノクロ表現時、覆い焼き、焼き込み処理を行う
レンズによって画角を調節して周囲の無駄を排除する
レンズによってパースペクティブを変える
レンズによって大きなボケを作る
ソフトフォーカスレンズによって滲みを出す
シフトレンズを使用しアオリ撮影をする
スローシャッターで動きのある写真や水の流れを雲のように見せる
トリミングで無駄な部分を排除する
トリミングついでに曲がった写真を上手く水平に戻す
PLフィルターや色温度フィルターなどのフィルターワーク
レフ板やフラッシュなどを用いて光を作り出す
等など・・・。写真は嘘だらけである。レンズやフィルムに関しては写真独特の「表現」ではあろう。しかし嘘には変わりない。結局上手く処理をしたらそれがばれない、と言うよりも嘘を許容する我々がいる。どれだけ嘘を吐いたか、ここまでの嘘は許容するけどそれ以上は・・・、そんなのはど~でもよく、フィルム時代もカメラマンは嘘吐きだったのだから今さら真実を求めてど~すんのってお話。
昔、フジカラープリントのCMで、、、
「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに」
なるキャッチコピーがあった。デジタル写真の今は、、、
「美しい風景はより美しく、そうでない風景も美しく」
である。
撮影者の脳内のイメージをRAW現像で処理をする。いわば撮影者はそう写るべきだと確信しているのだから、写真を「アート」と捉えるとその風景こそが真実と言えば真実になるとでも言おうか?。
「中には撮って出しJPGでも優れている写真があるぞ!」
確かにパッと見て「これ、このままでいんじゃないの?」と思う写真はあるのだろう。でもそこからさらに一手間加えた方がより良い写真になる、Lightroomで霞の除去だけするだけでも良く、カメラメーカーお仕着せの写真なんて一切興味がない。
「各メーカー、画像解析プロの開発陣が造り上げたJPG(写真)だからそれに勝るものはない!。再現像をするとこれもやろう、あれもやろうと作り過ぎた絵になって結果メーカーのJPGの方が優秀だったりする」
必ずそんな事を言い出す人がいる。いやいや、笑止!。自分好みの写真を作るのが「悪」などと言った風潮は糞喰らえである。料理本でもそうじゃないのかな?。レシピ通りに調理するよりもそれを元に自分の好きな味付けをした方が美味い。
ファッションでも同じかな?。今はファッション雑誌は読まないけれど若い頃はそれなりにトレンドを追い掛けたりもした。でも雑誌が提供する「もてる男のうんたら~」、「これからのトレンドはかんたら~」、それをそっくり真似する?。我々はマネキンでもなく雑誌モデルでもないんだ。それらと同じ。各カメラの撮って出しJPGもあくまでも「一般的に良いとされているだろう」、そんな100点満点中の80点レベルの写真しか提供出来ない。
写真って数学や物理、化学と言った学問じゃないのだよね。数値(各カメラメーカーのカラープロファイル)だけでは優れたものなんて出来ない。「優れたもの」、これは人それぞれ異なるから「自分好みの写真」と表現しようか。所詮、写真の好き嫌いは感性である。
撮って出しJPG派を嫌っているのではなく、、、
「Pentax、Canon、Nikon、Lumix、Olympus、Sonyのデジタルカメラを使ってきたが、撮って出しJPGで満足した事が一度もない」
たったそれだけのお話である。
そんな私も2010年前半まではJPG派だった。これはケチケチ星人だったから。当時、SDカードはまだ高かったのだな。RAWファイルを保存するにはそれ相応の金額をSDカードにつぎ込む必要があった(たった数千円ではあるがケチはその数千円を使わない)。だから逆光とかどうしても失敗しちゃならない写真、そんなのを除いたら全部JPGのみの保存だった。
それでも仕事柄、Photoshopは確かVer3から使っていたし、LightroomもVer2だったかVer3だったかを使っていたからJPGの写真でもそこからレタッチで色々と修正を加えていた。良くJPGファイルを加工すると画像が劣化するからやめた方が良いと言うアホがいるけれど、そういう輩に限って実際に検証した事ないでは?。そんなの微々たるもんだって!。肉眼でそれが判るなんて人がいたら彼はきっと加工され上書きされ劣化したJPGファイルを見抜ける特殊な才能を持った超能力者である。でもそんな超能力者がいても世界が平和になる訳じゃなく、むしろ煙たい存在でしかない。
2010年後半からは常にRAW保存。その頃何があった?。忘れもしない2010年の夏、「足尾廃墟探訪の旅」である。この時は2000枚近く撮影している。だから全てのコマはJPGファイルのみの記録にとどまった。ところがおうちに帰ってガッカリですがな!。この時、Pentax K20DとK-7を使用しており、この2機種は露出に大きな問題のあるカメラではなかったので露出で大きく外した写真は少なかったものの、そもそもJPGファイルでは表現し切れない、そういう風景が結構あったんだ。
それを機に1000枚でも2000枚でもRAWファイルを保存出来るくらいのSDカードを購入し、2010年後半から「RAW現像派」になったのだった。ケチケチ星人でも買う時は買う!。
ここでちょっと余談。
「Pentaxのレンズは純正に限る!」
これも感覚的なものだから断言するとちょいとビビッてしまうが、これまでずっと安いレンズメーカーのレンズを積極的に使っていた。その足尾の撮影ではTamronの18-200mmF3.5-6.3を使っていたし(実は糞レンズであるのだが)、その後はSigma 17-70mmF2.8-4がメインレンズだった(このレンズも実は糞・・・)。
反面、連れは純正派で本ブログで常に糞と言っちゃ糞に失礼、糞未満でしかないDA18-55mmF3.5-5.6、その後はDA17-70mmF4(これは名レンズ!)をメインレンズにしていた。足尾の時は私がK20D、連れがK-7を主に使っていたのでカメラの差かな?、と思っていたのだが、互いがK-5を使い出して判明した事がある。
「Pentaxのレンズで撮影した写真は色が深い!」
同じカメラ、同じカスタムイメージ(カラープロファイル)、同じ露出でほぼ同じ構図で撮影していてもSigma 17-70mmよりもDA17-70mmの方が深い色になるんだ。言い換えるとSigmaのレンズが非常に浅い発色なのが判った。レンズによって発色の違いがある、これは理解していたが、自分のレンズでそう感じたのはこの時が初めて。
しかしそんな違いもRAW現像すれば差はなくなる。だから今後も本当はSonyのZeissブランドのSonnar 55mmF1.8が欲しいけれど、お安いFE50mmF1.8でいいやぁ~、このように安価なレンズばかりを使うだろう。ほれっ!、価格.comとかでクソミソに嫌われていたOlympusのM.Zuiko 17mmF2.8や12-50mmF3.5-6.3を今でも平気で使っているから・・・。
少なくとも日本メーカーの現行の単焦点レンズの場合、解像力なんてシャープネスを上げれば良いだけで安いレンズ、高いレンズの違いは、、、
「色乗り」
「逆光耐性」
「ボケ味」
「AFスピード」
「防塵防滴か否か」
これらはレンズを語る上で非常に重要な要素なのだが、上で書いた通り、色の乗り方、コントラストなどは現像すればどうにでもなるし、オールドレンズ使いなので逆光下では軟調になったり、ゴーストが出るのが当たり前。ボケ味は美しいに越した事はないが、汚くてもさほど気にならない人間だ。防塵防滴は欲しいけれど今は安価なレンズにも簡易ではあるが、雨に強いレンズもあるし・・・。
「色乗り」
「逆光耐性」
「ボケ味」
「AFスピード」
「防塵防滴か否か」
これらはレンズを語る上で非常に重要な要素なのだが、上で書いた通り、色の乗り方、コントラストなどは現像すればどうにでもなるし、オールドレンズ使いなので逆光下では軟調になったり、ゴーストが出るのが当たり前。ボケ味は美しいに越した事はないが、汚くてもさほど気にならない人間だ。防塵防滴は欲しいけれど今は安価なレンズにも簡易ではあるが、雨に強いレンズもあるし・・・。
レンズに関しても数値ではない。あくまでも感性であり、本人が良しとすれば世間で駄レンズと呼ばれていても問題はないんだ。そんなレンズに優しい私でも唯一不快なのが像面湾曲しちゃうレンズ。像面湾曲をご存じない方は調べてちょ!。上述DA18-55mmF3.5-5.6は何度か更新されたが一向に改善されなかったし、Pentax使用晩年メインレンズのSigma 17-70mmF2.8-4も鬼酷い像面湾曲があった。これらは糞です!。使っちゃいけない!。
私が突然DA17-70mmF4の前のモデル、DA16-45mmF4を何故購入したか?、ただみたいな金額で入手出来た事もあるが、Sigmaのレンズに愛想が尽きたから(Sigmaでも他のレンズはこれほど酷い像面湾曲はない)。このレンズは像面湾曲の他、逆光で「著しく」コントラストが下がるのでAFが迷ってピントが合わずシャッターを押せない、そんな事象も多々あった。そりゃ捨てたくなるわな。
もし再びPentaxの一眼レフを手にするとしたら・・・。ボディはKP、そしてレンズはDA18-135mmF3.5-5.6である。このレンズ、A4プリントでも判るんじゃないかと言うくらい特に広角側の四隅は笑っちゃうくらいお粗末。景色が完全に流れちゃう。でも像面湾曲はしないし、色乗りも良く、また望遠側は35mm判換算で200mmを超える、簡易防滴機能もあり、これ1本でどうにでもなる!。KPが中古市場でもっと安かったら真剣に考えていたシステムである。
おっと話が逸れてしまった。元に戻そう。
「忠実色、記憶色」なる言葉も私には意味がない。忠実色に拘るメリットを感じず、求めているのは記憶色よりも上を行く「希望色、妄想色」とでも言おうか?。
「この風景はこう発色しているべきだ!」
そんな意識が強い。さすがについこの前撮影してきた裏磐梯の写真、紅葉していない緑の葉に赤や黄を着色する、そこまではしないものの、強調はする。また一年経ったら当時の状況なんてなんとなく覚えているだけで、だったらビシバシと赤はより赤に、黄はより黄に仕上げる。
こういう事をやたらに否定する人がいる。
「だったらモノクロ表現なんて嘘八百だから私よりもモノクロな人々を徹底的に糾弾したらどうだい?」
でも違うらしいんだ。モノクロは写真文化、歴史として認められているからデジタルでオッケーなんだと!。馬鹿馬鹿しい。頭硬過ぎでしょ。それでいてFujfilmのクラシッククロームがドキュメント、スナップ向きとかアホな事を抜かしたりする。クラシッククローム、あれだけ彩度を落とすなんて嘘八百じゃん。
Fujifilmのカメラをけなしているのではない。お金があったらX-T4が欲しいくらいFujifilmのメカメカしいカメラが好き。またレンズも安価なものも含め、揃っており、大きさ、重さも手頃、35mm判カメラなんぞ手にするよりもAPS-CのFujifilmを使うべきだ!、と様々なところで述べていたりする。
モノクロ写真が文化ならばデジタル写真になってからのレタッチ、現像、これもデジタル写真での文化でしょう?。数十年経たらそれが歴史にもなる。
それに我々は写真史を学んでいるのではなく趣味で写真を楽しんでいているのだからぶっちゃけ文化とか歴史とかど~でもいいんじゃないの?。むしろ文化にも歴史にも刻まれないオンリーワンを目指した方が面白くないだろうか?。
勿論、正しい知識は必要だ。Fujifilmカメラのカラープロファイルであるフィルムシミュレーション。ベルビアとかプロビアとか最近ではクラシックネガが加わった(すでにRawTherapee用のカラープロファイルでクラシックネガが作られていて当然どんなカメラにもそれをセット出来る)。その中のベルビア、プロビア、アスティア、これらはフィルム時代のベルビア、プロビア、アスティアではなくデジタル時代のベルビア、プロビア、アスティアでしかない。そういう認識は持っていた方が良い。
だからこそ「Fujifilmデジタルカメラのベルビアは俺の知っているベルビアではない!」、そう感じ、「俺のベルビア」を作り上げたくなる。これこそ「ベルビアはこうあるべきだ!」、なる希望、妄想色だ。他人が「それはベルビアの発色じゃない」と文句を垂れても聞く耳を持つ必要がない。
「お前のベルビアではなく俺のベルビアである」
自信を持ってそう言い切れば良い。
フィルム時代のベルビアを知らない方が「Fujifilmカメラのベルビアはいいぞ!」、これは仕方がない。しかしそんな時こそしっかりと歴史を見つめるべきではなかろうか?。わざわざフィルムカメラを新調してベルビアを通す必要はなく、ネットでちょいと調べればフィルム時代のベルビアで撮影された写真を見つけられるし、クラシッククロームも然り、ビンテージコダクロームの発色をネットで探せばその違いを理解出来る。違いを知った上で「撮って出しJPGのクラシッククロームが好き」、そう感じればそれで良いし、「あれっ?、ビンテージコダクロームの方が味わいあるじゃん」と思えばRAW現像を学べば良い。
Fujfilmのカメラにクラシッククロームが搭載された際、海外で「クラシッククロームはコダクロームか!?」と話題になったが、海外でも知らない人は知らない訳だ。初期のコダクロームはどうやらこれに近いとは言われているようだが、我々一般がイメージするコダクロームは「コダクローム64」である。そうなると明らかにクラシッククロームとイコールではない。
話を進めよう。かつて価格.comの掲示板だったかツイッターなどのSNSだったか・・・。
「RAW現像している暇があったら写真を撮るべき」
そんな言葉を吐いていた輩がいた。何という短絡的な間の抜けた思考なのだろうか?。RAW現像は写真を撮る合間に行うものであり、RAW現像派が写真撮影を削ってまでRAW現像に固執していると思っているのだろうか?。またきっとこういう人は撮影した写真全てを再現像していると思い込んでいるのだろうな。お馬鹿さん過ぎる・・・。
こういう思考の輩からするとうちのブログを見ても、、、
「ブログを書いている暇があったら・・・」
とか考えているのだろうな。
RAW現像もブログを書くのも趣味である。写真という趣味の中のひとつの要素に過ぎない。近頃アウトドアに夢中であるが、カメラを持たずして山に登ったりトレッキングしたり・・・、そんなのあり得ない。写真と言う趣味があるからアウトドアも楽しめるんだ。帰宅後、「そうそう、この山道が足にきたんだよなぁ~」とぶつぶつ言いながら趣味の現像を始める・・・。
自分の中でもど~でも良い事なので記憶が曖昧。確か「クロスプロセスなる現像法が面白いらしい」、そんなネタを仕入れ、AdobeのCamera Raw用のクロスプロセスを模倣したプリセットを仰山集めて、それを当時夢中になっていたとあるSNSでこんな感じになるとか発表したのかな?。すると、、、
「実際にクロスプロセスで現像した事のない人間がトレンドだからとデジタルで再現しようなんて若い世代に迎合しているだけ」
そんなような事を言われたんだ。きっとその方はずっと以前からクロスプロセスを楽しまれていたのだろう。そんな人間からすると私は「にわか」でしかなく、上から目線で今で言うマウントを取ろうとしたのだろうな。
でも考えてご覧よ。当時もネットでちょちょいと調べるだけでクロスプロセスがどんな写真になるのかが簡単に判った。それで、、、
「ちょっと面白いかも・・・、なるほど、世界ではすでにそれをデジタルでやっちまおうって人が沢山いるではないか!、だったら俺も!」
そうやって挑戦している人間に対して出来た人間ならば、、、
「本物はもうちょっとこうやってああなって・・・、可能ならば実際にフィルムカメラでやってみるべし!」
そう言った指南をしてくれる。でも彼女(そう、相手は女性)はそれが出来ないクズ人間だったのだな。そして現実を見られない頭がお花畑な人だったのかもしれない。その頃、デジタルのクロスプロセスは海外では当たり前のように使われていて、その後、Pentaxがカスタムイメージにクロスプロセスなカラープロファイルを盛り込んだり、「デジタルでのクロスプロセス」、これがひとつのコンセプトとして認められた。それを不快に思うような人間だったのだろう。合掌・・・。
だから本ブログでも撮って出しJPG派を否定はしていない。人それぞれ何をどうしようか勝手だからだ。RAW現像派に食って掛かる一部のアホな撮って出しJPG派に「あんたはアホだ」と噛み付いているだけ。でも大多数の優良な撮って出しJPG派に対して「RAW現像を学べば世界が広がるよ!」、そう言い続けている次第である。
本日掲載している写真達は全て現実ではあり得ない風景である。どれも晴天ではあったが、霞んで濁った青空だったり、半逆光で空が白っぽかったりと綺麗な青空を望めなかった残念な写真達。でもRAW現像すれば非現実的であろうが、ひとつのアートとして成立すると思う。撮って出しJPG派からすると写真ではなくコンピュータグラフィックになるのだろうが、海外ではこういう風景も写真として認めてくれる人達がいる。
イチローだって4割もヒットを打てない。勿論、万人が「スゲェ!」と言ってくれればウキウキする。しかし10人いて3人が「非現実的でも面白いかも!」、そう感じてくれるだけで十分だ。なんだったらこれらの写真、真っ赤な夕焼け写真にも割と簡単に変更出来たりもする・・・。そうなると何が本当で何が嘘か?。
そもそも論。
「写真に真実を見出そうと考える事が誤り」
YouTubeでの動画にせよ、アウトドア系になるとみんなGoProみたいなのを使うけれど、超広角な画角でしょう?。魚眼っぽくなっていたりもして、これだって嘘てんこ盛りな映像なんだ。
今回の写真達は大胆に空を強調しているので誰もが嘘の風景だと理解出来る。しかしある程度抑えた現像をしたら誰もが「こういう風景の元でカメラを構えたのだろう」と感じてくれる。たとえそれが薄曇りや逆光下だったとしても「青い空の下でパチリした運の良い奴」と思ってくれる。
「如何に上手にばれないような嘘を吐くか?」
これこそが写真の本質だろう。本日掲載しているひまわりの写真。ひまわり畑で撮影したように見えると思う。しかしもしかしたら構図に写っていない部分に民家だの畑だのがある極普通の町で撮影した風景かもしれない。ドームが写っている写真の添景に一台の車。こんな都合の良い位置に止まってくれるか?。また本当は緑色の塗装かもしれないし、実は手前に何台も車があり邪魔だから消しているのかもしれない。こんなのは今の時代、簡単にレタッチ出来る。
RAW現像ソフトやレタッチソフトは、、、
「嘘だと見抜けないくらいまで写真を撮影者の意図を加えるツール」
そしてRAW現像とは上の言葉通り、、、
「如何に上手に嘘を吐くか?」
その為の手段である。
フィルム時代でも我々カメラマンはずっと嘘を吐いてきた。
フィルムの性質で彩度やコントラストを決める
モノクロフィルムを使う
モノクロ表現時、覆い焼き、焼き込み処理を行う
レンズによって画角を調節して周囲の無駄を排除する
レンズによってパースペクティブを変える
レンズによって大きなボケを作る
ソフトフォーカスレンズによって滲みを出す
シフトレンズを使用しアオリ撮影をする
スローシャッターで動きのある写真や水の流れを雲のように見せる
トリミングで無駄な部分を排除する
トリミングついでに曲がった写真を上手く水平に戻す
PLフィルターや色温度フィルターなどのフィルターワーク
レフ板やフラッシュなどを用いて光を作り出す
等など・・・。写真は嘘だらけである。レンズやフィルムに関しては写真独特の「表現」ではあろう。しかし嘘には変わりない。結局上手く処理をしたらそれがばれない、と言うよりも嘘を許容する我々がいる。どれだけ嘘を吐いたか、ここまでの嘘は許容するけどそれ以上は・・・、そんなのはど~でもよく、フィルム時代もカメラマンは嘘吐きだったのだから今さら真実を求めてど~すんのってお話。
昔、フジカラープリントのCMで、、、
「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに」
なるキャッチコピーがあった。デジタル写真の今は、、、
「美しい風景はより美しく、そうでない風景も美しく」
である。
撮影者の脳内のイメージをRAW現像で処理をする。いわば撮影者はそう写るべきだと確信しているのだから、写真を「アート」と捉えるとその風景こそが真実と言えば真実になるとでも言おうか?。

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