2019年04月01日 00:00

Nikon D90, AF-S DX Nikokr 16-85mmF3.5-5.6 G
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Canonユーザーはキヤノン小僧、Nikonユーザーはニコンオヤジ(ニコジイ、ニコ爺)、フィルム時代、何故かそう呼ばれていた(今でもそう呼ぶ人多いのかな?)。そしてPentaxユーザーは5年くらい前?、突然海外でペンタキシアンなる言葉が生まれた。
今日はその第2回、ニコンオヤジの人物像に迫ってみたい。
Canonユーザーはキヤノン小僧、Nikonユーザーはニコンオヤジ(ニコジイ、ニコ爺)、フィルム時代、何故かそう呼ばれていた(今でもそう呼ぶ人多いのかな?)。そしてPentaxユーザーは5年くらい前?、突然海外でペンタキシアンなる言葉が生まれた。
今日はその第2回、ニコンオヤジの人物像に迫ってみたい。
ニコンオヤジとかニコ爺、これは恐らくNikonユーザーは頑固で年長者が多かったからそう言われるようになったのだろう。でも実際には若年層のニコンオヤジも仰山いた。思うに年長者云々よりもやたらに説教臭い奴が多かったんじゃなかろうか?。
ここで言うニコンオヤジとはNikonのカメラとレンズしか持っていない人を指す。メインで使うのはNikonだけど他のメーカーのカメラも使っている、そんな人はニコンオヤジとは呼ばない。要注意事である。ここテストに出るよ!。
彼らの厄介な点・・・、Nikonの悪口を言うと切れる!。そして延々と説教を始める!。
Nikon F5、これはNikonとしては珍しく尖ったカメラ。Canonに追従し多点測距AFを採用し、ボディは縦位置グリップの一体型(今のOlympus OM-D E-M1Xのような)。そのデザインが鬼太郎のヌリカベのようでしょっちゅう、、、
「このヌリカベ、不細工だよな」
とからかっていた。それだけで本気で怒り始める。
「俺が好きでそれを使っているんだから外野は文句を言うな!」
えっ?、酒の席、友人同士で楽しく会話しているのにいきなり切れるんだ。
そのひとつ前のフラッグシップのF4、このカメラは今でも好き。特にF4S、これは世界一カッコイイカメラと言い切って良く、唯一所持していたNikonカメラ。所持していただけでほとんど使わなかったが、見ているだけで酔っちゃう。まじにカッチョイイ。
ところがこいつには欠点が2つあった。
まずはロック機構。露出補正ダイヤルやシャッターダイヤルにロック機構があるんだ。だから露出補正をしようと思うとそのロックを外してからじゃないと出来ない。露出補正ダイヤルの真ん中にロックボタンがあり、それを押して回す。それがやり辛いのなんのって!。他に何だっけなぁ、幾つか不快なロック機構があったんだが・・・、忘れちゃった。
とにかくそれをニコンオヤジに指摘すると、、、
「何を言っているんだ?、あれは誤操作防止に役立つ。だからこそプロが使うんだ。これを厄介だなんて言っている奴はF4を使う資格がない!」
「いや、でもプロカメラマンの中にはロックさせなように改造している人もいるって聞くぜ」
そう反論しても耳を貸さない。
そしてもうひとつの欠点、それはボディ外装がプラスチックで、使い込むとテカテカ光ってしまう。うちのF4Sは中古店のショーウィンドウに並んでいる中で一番安いのを買ったので最初からテッカテカ。同時期のCanonのフラッグシップであるEOS-1も外装はプラスチックだったが、ここまでテカテカしない。
するとああ言えばこう言うのニコンオヤジ。
「EOS-1だって同じように乱暴に扱えばテカテカするよ。F4はカメラマンがどんな扱いをしても壊れない。でもEOS-1は壊れるんじゃねぇの?」
この会話、今でも良く覚えている。ちょうどうちのEOS-1が電源不良だかで故障したんだ。それをあざ笑っている。私はキヤノン小僧だからそんな事言われてもへっちゃらで、壊れたら別のカメラを使えば良い、ただそれだけなのだが、上の台詞、友人同士の冗談ではなく、本気でCanonのカメラを馬鹿にしているニコンオヤジ。
※ここまで酷いとニコンオヤジ云々でなくそいつ個人の性格が悪かっただけとも言えるのだが・・・
またキヤノン小僧との違いとして・・・。
キヤノン小僧はカメラ、写真談義になるとテクニック論をひけらかす。この風景ならあのレンズを使って構図はどーの、絞りは幾つだの・・・。それはそれでウザったい。今思えば私自身もその手の話になったら周囲から煙たがられていたろう。ところがニコンオヤジはさらに上手。写真、カメラの歴史や哲学的な写真論を展開し始める。
いやいや、今、オネーチャンを広角レンズでどう撮れば動感のある色っぽい絵になるかを話し合っているのに、何故ポートレートや人物スナップの歴史を展開し始めるんだ?。
またキヤノン小僧はとにかく機材の自慢をする。しかしニコンオヤジは違うんだ。時折自虐に走る。
「いやぁ、D850とF2.8ズームをずっと持っていると肩が凝る。ミラーレスはいいよね」
言葉通りに解釈しちゃいけない。彼らは自虐をしつつ、自分の機材が一番だと思っている。だから間違っても、、、
「良くそんな重いだけのカメラ使っているな」
なんて言っちゃ駄目。すぐに切れられるから・・・。
「一写入魂」
この言葉、今でも頻繁に使われる。これを最初に表現した人物、絶対にニコンオヤジだ!。そりゃぁそうだろうなぁ、F4みたいな何かをする時に必ずロックを解除しなくちゃならないのだから1枚1枚を心を込めてしっかり撮るようになるさ。
ライカマニアが使う言葉。
「この世には2種類のカメラしか無い。ライカとライカ以外のカメラだ」
そしてニコンオヤジは、、、
「この世には2種類のカメラしか無い。ニコンとニコン以外のカメラだ」
二番煎じだと判っていても臆面も無くそう表現しちゃう。いや、こっちが最初だ!、そんな事を歴史を捻じ曲げるニコンオヤジもいたかもしれない。
そう、彼らはニコン製品しか使わない。F5ユーザーはF4も持っていたし、当然手巻きのF3もある。それをTPOで使い分ける訳だが、他にスーパーサブとして電池が無くても動いてくれる機械式のFM2も持つ。お金のない人は21世紀になってもNikomat(ニコマート)を使っていたりもした。
そして不思議な事、Nikonのカメラはマウント不変であるのだが、当時最新のF5から古い機種だとF3やNikomat、そんなカメラを持つ彼ら、何故かレンズもカメラ別、時代毎に揃えていたりする。F4、F5にはDタイプのAFレンズ。F3にはMFのAiレンズ、そしてNikomatには非Aiレンズ。
「おいおい!、それってマウント不変の意味ねぇじゃねぇか!」
凄いよね、Nikonの50mmレンズだけで5本くらい持っているのだから・・・。
真のニコンオヤジは今現在、Nikon Z6もしくはZ7、さらにはD850も持ち、マニアックなDfも所持しているに違いない。おっと、APS-Cの動体連写機のD500辺りも必ず持っている筈だ。
そんなニコンオヤジが他社に対して悪態を吐く、これはもはやしょ~がない。彼らはそういう人種だと言って諦めるしかない。
しかし厄介なのは隠れニコンオヤジの増殖。Nikonのカメラ、レンズをこよなく愛している癖に普段使うレンズはTamronのF2.8ズームだったり、Sony α7に非Aiレンズを付けて遊んだり、コンパクトカメラにCoolpixでなくSonyのRX100シリーズなんてのを使っていたりする人が増えてきた。
「ニコンユーザーだけどTPOに合わせて他メーカーも使っているよ!」
彼らは私のような「心はキヤノン小僧」を装っている。ここに注意が必要。キヤノン小僧のように節操が無いだけで他人の迷惑を掛けない、そんなタイプじゃないんだ。キヤノン小僧と違って隠れニコンオヤジはNikonの悪口を言われるとブチ切れ、かつ他社の悪口を言いまくる。
「ニコン以外のカメラ、レンズも色々と使っているけどやっぱり最後はニコンだな」
その後に延々と他社の悪口が続く。なんなんだ?、こいつらは?。人類の敵、社会の敵に認定しても良いくらいだ。
切れたり悪態を吐いていいのはNikon一筋の真のニコンオヤジだけ。そんなニコンオヤジが減少したのだろう。でなかったらNikon 1シリーズは終了しない。ニコンオヤジだったらNikonと言うメーカーを支えるべく、Nikon 1シリーズを買わなくちゃならなかったのだから。
ここで言うニコンオヤジとはNikonのカメラとレンズしか持っていない人を指す。メインで使うのはNikonだけど他のメーカーのカメラも使っている、そんな人はニコンオヤジとは呼ばない。要注意事である。ここテストに出るよ!。
彼らの厄介な点・・・、Nikonの悪口を言うと切れる!。そして延々と説教を始める!。
Nikon F5、これはNikonとしては珍しく尖ったカメラ。Canonに追従し多点測距AFを採用し、ボディは縦位置グリップの一体型(今のOlympus OM-D E-M1Xのような)。そのデザインが鬼太郎のヌリカベのようでしょっちゅう、、、
「このヌリカベ、不細工だよな」
とからかっていた。それだけで本気で怒り始める。
「俺が好きでそれを使っているんだから外野は文句を言うな!」
えっ?、酒の席、友人同士で楽しく会話しているのにいきなり切れるんだ。
そのひとつ前のフラッグシップのF4、このカメラは今でも好き。特にF4S、これは世界一カッコイイカメラと言い切って良く、唯一所持していたNikonカメラ。所持していただけでほとんど使わなかったが、見ているだけで酔っちゃう。まじにカッチョイイ。
ところがこいつには欠点が2つあった。
まずはロック機構。露出補正ダイヤルやシャッターダイヤルにロック機構があるんだ。だから露出補正をしようと思うとそのロックを外してからじゃないと出来ない。露出補正ダイヤルの真ん中にロックボタンがあり、それを押して回す。それがやり辛いのなんのって!。他に何だっけなぁ、幾つか不快なロック機構があったんだが・・・、忘れちゃった。
とにかくそれをニコンオヤジに指摘すると、、、
「何を言っているんだ?、あれは誤操作防止に役立つ。だからこそプロが使うんだ。これを厄介だなんて言っている奴はF4を使う資格がない!」
「いや、でもプロカメラマンの中にはロックさせなように改造している人もいるって聞くぜ」
そう反論しても耳を貸さない。
そしてもうひとつの欠点、それはボディ外装がプラスチックで、使い込むとテカテカ光ってしまう。うちのF4Sは中古店のショーウィンドウに並んでいる中で一番安いのを買ったので最初からテッカテカ。同時期のCanonのフラッグシップであるEOS-1も外装はプラスチックだったが、ここまでテカテカしない。
するとああ言えばこう言うのニコンオヤジ。
「EOS-1だって同じように乱暴に扱えばテカテカするよ。F4はカメラマンがどんな扱いをしても壊れない。でもEOS-1は壊れるんじゃねぇの?」
この会話、今でも良く覚えている。ちょうどうちのEOS-1が電源不良だかで故障したんだ。それをあざ笑っている。私はキヤノン小僧だからそんな事言われてもへっちゃらで、壊れたら別のカメラを使えば良い、ただそれだけなのだが、上の台詞、友人同士の冗談ではなく、本気でCanonのカメラを馬鹿にしているニコンオヤジ。
※ここまで酷いとニコンオヤジ云々でなくそいつ個人の性格が悪かっただけとも言えるのだが・・・
またキヤノン小僧との違いとして・・・。
キヤノン小僧はカメラ、写真談義になるとテクニック論をひけらかす。この風景ならあのレンズを使って構図はどーの、絞りは幾つだの・・・。それはそれでウザったい。今思えば私自身もその手の話になったら周囲から煙たがられていたろう。ところがニコンオヤジはさらに上手。写真、カメラの歴史や哲学的な写真論を展開し始める。
いやいや、今、オネーチャンを広角レンズでどう撮れば動感のある色っぽい絵になるかを話し合っているのに、何故ポートレートや人物スナップの歴史を展開し始めるんだ?。
またキヤノン小僧はとにかく機材の自慢をする。しかしニコンオヤジは違うんだ。時折自虐に走る。
「いやぁ、D850とF2.8ズームをずっと持っていると肩が凝る。ミラーレスはいいよね」
言葉通りに解釈しちゃいけない。彼らは自虐をしつつ、自分の機材が一番だと思っている。だから間違っても、、、
「良くそんな重いだけのカメラ使っているな」
なんて言っちゃ駄目。すぐに切れられるから・・・。
「一写入魂」
この言葉、今でも頻繁に使われる。これを最初に表現した人物、絶対にニコンオヤジだ!。そりゃぁそうだろうなぁ、F4みたいな何かをする時に必ずロックを解除しなくちゃならないのだから1枚1枚を心を込めてしっかり撮るようになるさ。
ライカマニアが使う言葉。
「この世には2種類のカメラしか無い。ライカとライカ以外のカメラだ」
そしてニコンオヤジは、、、
「この世には2種類のカメラしか無い。ニコンとニコン以外のカメラだ」
二番煎じだと判っていても臆面も無くそう表現しちゃう。いや、こっちが最初だ!、そんな事を歴史を捻じ曲げるニコンオヤジもいたかもしれない。
そう、彼らはニコン製品しか使わない。F5ユーザーはF4も持っていたし、当然手巻きのF3もある。それをTPOで使い分ける訳だが、他にスーパーサブとして電池が無くても動いてくれる機械式のFM2も持つ。お金のない人は21世紀になってもNikomat(ニコマート)を使っていたりもした。
そして不思議な事、Nikonのカメラはマウント不変であるのだが、当時最新のF5から古い機種だとF3やNikomat、そんなカメラを持つ彼ら、何故かレンズもカメラ別、時代毎に揃えていたりする。F4、F5にはDタイプのAFレンズ。F3にはMFのAiレンズ、そしてNikomatには非Aiレンズ。
「おいおい!、それってマウント不変の意味ねぇじゃねぇか!」
凄いよね、Nikonの50mmレンズだけで5本くらい持っているのだから・・・。
真のニコンオヤジは今現在、Nikon Z6もしくはZ7、さらにはD850も持ち、マニアックなDfも所持しているに違いない。おっと、APS-Cの動体連写機のD500辺りも必ず持っている筈だ。
そんなニコンオヤジが他社に対して悪態を吐く、これはもはやしょ~がない。彼らはそういう人種だと言って諦めるしかない。
しかし厄介なのは隠れニコンオヤジの増殖。Nikonのカメラ、レンズをこよなく愛している癖に普段使うレンズはTamronのF2.8ズームだったり、Sony α7に非Aiレンズを付けて遊んだり、コンパクトカメラにCoolpixでなくSonyのRX100シリーズなんてのを使っていたりする人が増えてきた。
「ニコンユーザーだけどTPOに合わせて他メーカーも使っているよ!」
彼らは私のような「心はキヤノン小僧」を装っている。ここに注意が必要。キヤノン小僧のように節操が無いだけで他人の迷惑を掛けない、そんなタイプじゃないんだ。キヤノン小僧と違って隠れニコンオヤジはNikonの悪口を言われるとブチ切れ、かつ他社の悪口を言いまくる。
「ニコン以外のカメラ、レンズも色々と使っているけどやっぱり最後はニコンだな」
その後に延々と他社の悪口が続く。なんなんだ?、こいつらは?。人類の敵、社会の敵に認定しても良いくらいだ。
切れたり悪態を吐いていいのはNikon一筋の真のニコンオヤジだけ。そんなニコンオヤジが減少したのだろう。でなかったらNikon 1シリーズは終了しない。ニコンオヤジだったらNikonと言うメーカーを支えるべく、Nikon 1シリーズを買わなくちゃならなかったのだから。

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