2019年03月30日 00:00

Canon EOS30D, EF-S17-55mmF2.8 IS USM
Canonユーザーはキヤノン小僧、Nikonユーザーはニコンオヤジ(ニコジイ、ニコ爺)、フィルム時代、何故かそう呼ばれていた(今でもそう呼ぶ人多いのかな?)。そしてPentaxユーザーは5年くらい前?、突然海外でペンタキシアンなる言葉が生まれた。
今日はその中のキヤノン小僧の人物像に迫ってみたい。
今日はその中のキヤノン小僧の人物像に迫ってみたい。
Nikonユーザーをニコンオヤジとかニコ爺、これは写真、カメラに精通されていない方でも何となく判ると思う。では何故キヤノンユーザーは小僧なのか?。
これはポートレート撮影会のモデルさんや、モーターショーなどの見本市でのコンパニオンさんらをCanonカメラ、レンズで執拗にパチパチ撮る輩が大量発生した。当時そんなオネーチャンのケツを追っかけまわしていたのは若い世代が多く、まだケツの青いガキンチョがプロカメラマン気取りでパチパチしているから小僧。その手のキヤノン小僧はでっかい白レンズを付けているからやたらに目立ち、一般人から見るととっても気色悪い。
かつてキヤノン小僧だった。
おっと、間違っちゃいけねぇ、プロカメラマン気取りでパチパチしていたし、ある時期オネーチャンは撮っていたものの、撮影会なんて一度も参加した事が無いし、車が大好きだったからモーターショーには良く通いはしたが、コンパクトカメラを使って車を撮るだけ。そんな時、キヤノン小僧達がウロチョロしていると邪魔臭くてしょ~がなかった。
※中には真面目に車だけを撮るキヤノン小僧もいて、彼らが一番ウザったかった、とにかくどかない!
それでもCanonのかなりのヘビーユーザーだった。EOSからカメラ道に入り、白レンズも3本所持。そしてその後、Canon FDまで手を出し、両方合わせるとカメラが6台、レンズは最高で15本以上は所持していたんじゃなかろうか?。
そんなキヤノン小僧(特にEOS小僧)は機材に冷めた感情しか持っていない。カメラ、レンズは「道具」、そんな意識しかなった。その時、自分の理想に一番近い機材を選んだらたまたまCanonだったに過ぎない。
とにかくAFが優秀だった。USMによりAF駆動音も静かだし、多点測距を編み出したのもCanon。それだけでCanonを選んだカメラマンも多いと思う。結果的にプロの世界ではスポーツ系のカメラマンの大半はCanonを選択していた。優れている道具を使うのは当たり前。
だから他メーカーユーザーから悪口を言われてもへっちゃらの馬耳東風。
Nikon F3とCanon NewF-1はライバル関係にあった。スペックはイコール。メーカー、ブランドが違うだけでどっちを選んでも変わらない。でもF3ユーザーはこんな事を言う。
「F3は分割巻上げのフィーリングが最高なんだよ。でもNewF-1は巻き上げる時のゴリゴリとした感触、あれはよろしくない!」
ごもっとも!。F3の分割巻上げ時の親指から脳味噌伝わる感触、これは絶妙で、脳内麻薬と呼ばれるドパーミンだっけか?。それが大量で出てきてそれだけで酔える。反対にNewF-1のそれは野暮ったい野武士のような感触、確かに最低であったのだが、キヤノン小僧はそこで怒らない。極普通に、、、
「そうなんだよ、F3のあれはいいよねぇ。それは羨ましいよ」
と非常に素直になれちゃう。
「まぁ写真を撮る分にはどっちも一緒でしょ・・・」
と気にも掛けない。そしてキヤノン小僧は機材に拘りがないのでこうも言ってのけちゃう。
「まぁあのフィーリングを得たかったらF3を買うまでだ、レンズはひとまず50mm1本でいいっしょ!」
でもニコンオヤジは決してライバルメーカーのカメラは使わない。F3のサブにFM2、NewFM2を持つ人が多かった。そして、、、
「キヤノンは機械式のカメラを持っていないんだよね。もし電池がなくなったらどうすんだよ」
でもキヤノン小僧は何を言われても平気。
「電池は常に予備を用意しているさ、でもFM2のあるNikonは羨ましいけどね」
ニコンオヤジはめげない。そしてお決まりの文句。
「キヤノンはマウントを変更してユーザーを裏切った。でもニコンは違う!、ユーザーを大切にしている!」
そうキヤノン小僧に向かって管を巻いても、、、
「だって俺、最初からEOSだったし・・・」
そんな言葉で会話終了。
「只今のの決まり手は肩透かし、肩透かし、観音山の勝ち」
と場内アナウンスが流れる。
でも間違っちゃならない。キヤノン小僧は心が広い訳なんじゃないだ。単に節操がないだけ。
ホント、カメラなんて何でも良かった。たまたま自分にマッチしたのがCanonだから使っていただけで、他にそれよりも良いのを見つけたらそっちを使う。結果、ヤシコンのContax、そしてPentaxも使うようになっていった。
さて、キヤノン小僧だった私はデジタルになってPentaxを選んだ。おやっ?、小僧からペンタキシアンに鞍替えかい?。
違うんだ。キヤノン小僧はCanon製品を使っていなくても心はずっとキヤノン小僧のまま。つまり冒頭で述べたようにカメラ、レンズは「道具」でしかなく、その時々で自分の中で最良のものを選んでいるに過ぎない。
Pentaxを選んだ理由はただひとつ。小さかった事。Pentax K-m、K10D、K20Dを使っていた頃、知人からCanon EOS30Dに17-55mmF2.8に70-200mmF4L ISを借りていたが、Canonの大きさに閉口。格安でそのセットを譲ってくれると言われていたが結局買わなかった。
心は常にキヤノン小僧。数年前、Sonyのイベントにてα7、α6000を1ヶ月、2ヶ月借りた。それで思う訳だ。
「うん、これからはミラーレスの時代だ!」
色々と思考し、Pentaxカメラを捨て自分にマッチしているシステムとしてm4/3を選んだ。m4/3はご存知の通り、一部の口の悪い連中から豆粒センサーと揶揄されるが、そこはキヤノン小僧の気質、やっぱりそう言われても全く傷つかない。それよりもOlympus OM-D E-M1やE-M5markIIで焦点距離によって1秒、E-M1markIIならば2秒でも風景が止まってくれる、これが一番有り難かったりする。
そして散々本ブログにてSonyのデザイン部門は能無し集団と吠えまくっているのに、その能無しがデザインしたα7IIを買っている。オールドレンズの母艦として背景をボケボケにするにはこのカメラしかないと思ったから。今でもカッコ悪いとは思っているが、写真を撮るのに支障はない。
フィルム時代、Canon EOS-1系の外装はプラスチックで安っぽかったし、デザインもどうしてカメラに空気抵抗を求めるのか?、そう疑問に思う程の流線形のカッチョ悪いものだった。でも機能が優れていたから使っていた。そんな訳だからSonyを選んだ時点でそれは節操のないキヤノン小僧でしかないのだ。
私だけでなく、デジタル一眼レフ主体で写真を撮っていた大勢が近頃はSonyのミラーレスカメラを使い始めている。Canonの一眼レフユーザーでさえSonyを使っている人もいる。CanonからミラーレスのEOS RやRPが発売されても中にはSonyを使い続けてる人もいるだろう。
でもそんなSonyユーザーの彼らも根っからのキヤノン小僧なのだった。だからいずれSonyを超えるカメラ、レンズを出してくるメーカーが現れれば全員がそっちを向く。Sonyはキヤノン小僧をどうやって末永く囲うか、それを考えないと将来ヤバイ訳だ。生粋のSonyマニアなんてこの世にしないのだから・・・。
但し!、キヤノン小僧の中には「生粋のキヤノン小僧」がいる。彼らと「心はキヤノン小僧」の我々との違いは・・・。
生粋の小僧はどんな撮影でも己の機材の中で最高級を用意する。フィルム時代だったら気軽なお散歩写真でもEOS-1Vに縦位置グリップを装着してやって来ちゃったりする。
理由を尋ねると「視野率100%じゃないと嫌だから」、確かにハイアマ仕様のEOS-3であっても視野率は97%くらいしか無かったから、リバーサルフィルムを使ってダイレクトプリントするようなカメラマンだと視野率100%に拘るのも判らなくもないが、お散歩写真にEOS-1Vねぇ・・・。
当然レンズはF2.8のズームレンズだ。さすがにEF50mmF1.2LとかEF85mmF1.2Lを使ってお散歩写真するキヤノン小僧を見た事は無いが、EF35mmF1.4LとEF135mmF2Lな人は随分と見た。でもきっと世の中には気軽なお散歩写真でEF50mmF1.2L、EF85mmF1.2Lを使っている生粋の中の生粋、そんなキヤノン小僧もいるに違いない。
ただ彼らは後述のニコンオヤジと違ってせいぜいモーターショーでコンパニオンのオネーサンに張り付くくらいで多くは他人に迷惑を掛けないから・・・。
これはポートレート撮影会のモデルさんや、モーターショーなどの見本市でのコンパニオンさんらをCanonカメラ、レンズで執拗にパチパチ撮る輩が大量発生した。当時そんなオネーチャンのケツを追っかけまわしていたのは若い世代が多く、まだケツの青いガキンチョがプロカメラマン気取りでパチパチしているから小僧。その手のキヤノン小僧はでっかい白レンズを付けているからやたらに目立ち、一般人から見るととっても気色悪い。
かつてキヤノン小僧だった。
おっと、間違っちゃいけねぇ、プロカメラマン気取りでパチパチしていたし、ある時期オネーチャンは撮っていたものの、撮影会なんて一度も参加した事が無いし、車が大好きだったからモーターショーには良く通いはしたが、コンパクトカメラを使って車を撮るだけ。そんな時、キヤノン小僧達がウロチョロしていると邪魔臭くてしょ~がなかった。
※中には真面目に車だけを撮るキヤノン小僧もいて、彼らが一番ウザったかった、とにかくどかない!
それでもCanonのかなりのヘビーユーザーだった。EOSからカメラ道に入り、白レンズも3本所持。そしてその後、Canon FDまで手を出し、両方合わせるとカメラが6台、レンズは最高で15本以上は所持していたんじゃなかろうか?。
そんなキヤノン小僧(特にEOS小僧)は機材に冷めた感情しか持っていない。カメラ、レンズは「道具」、そんな意識しかなった。その時、自分の理想に一番近い機材を選んだらたまたまCanonだったに過ぎない。
とにかくAFが優秀だった。USMによりAF駆動音も静かだし、多点測距を編み出したのもCanon。それだけでCanonを選んだカメラマンも多いと思う。結果的にプロの世界ではスポーツ系のカメラマンの大半はCanonを選択していた。優れている道具を使うのは当たり前。
だから他メーカーユーザーから悪口を言われてもへっちゃらの馬耳東風。
Nikon F3とCanon NewF-1はライバル関係にあった。スペックはイコール。メーカー、ブランドが違うだけでどっちを選んでも変わらない。でもF3ユーザーはこんな事を言う。
「F3は分割巻上げのフィーリングが最高なんだよ。でもNewF-1は巻き上げる時のゴリゴリとした感触、あれはよろしくない!」
ごもっとも!。F3の分割巻上げ時の親指から脳味噌伝わる感触、これは絶妙で、脳内麻薬と呼ばれるドパーミンだっけか?。それが大量で出てきてそれだけで酔える。反対にNewF-1のそれは野暮ったい野武士のような感触、確かに最低であったのだが、キヤノン小僧はそこで怒らない。極普通に、、、
「そうなんだよ、F3のあれはいいよねぇ。それは羨ましいよ」
と非常に素直になれちゃう。
「まぁ写真を撮る分にはどっちも一緒でしょ・・・」
と気にも掛けない。そしてキヤノン小僧は機材に拘りがないのでこうも言ってのけちゃう。
「まぁあのフィーリングを得たかったらF3を買うまでだ、レンズはひとまず50mm1本でいいっしょ!」
でもニコンオヤジは決してライバルメーカーのカメラは使わない。F3のサブにFM2、NewFM2を持つ人が多かった。そして、、、
「キヤノンは機械式のカメラを持っていないんだよね。もし電池がなくなったらどうすんだよ」
でもキヤノン小僧は何を言われても平気。
「電池は常に予備を用意しているさ、でもFM2のあるNikonは羨ましいけどね」
ニコンオヤジはめげない。そしてお決まりの文句。
「キヤノンはマウントを変更してユーザーを裏切った。でもニコンは違う!、ユーザーを大切にしている!」
そうキヤノン小僧に向かって管を巻いても、、、
「だって俺、最初からEOSだったし・・・」
そんな言葉で会話終了。
「只今のの決まり手は肩透かし、肩透かし、観音山の勝ち」
と場内アナウンスが流れる。
でも間違っちゃならない。キヤノン小僧は心が広い訳なんじゃないだ。単に節操がないだけ。
ホント、カメラなんて何でも良かった。たまたま自分にマッチしたのがCanonだから使っていただけで、他にそれよりも良いのを見つけたらそっちを使う。結果、ヤシコンのContax、そしてPentaxも使うようになっていった。
さて、キヤノン小僧だった私はデジタルになってPentaxを選んだ。おやっ?、小僧からペンタキシアンに鞍替えかい?。
違うんだ。キヤノン小僧はCanon製品を使っていなくても心はずっとキヤノン小僧のまま。つまり冒頭で述べたようにカメラ、レンズは「道具」でしかなく、その時々で自分の中で最良のものを選んでいるに過ぎない。
Pentaxを選んだ理由はただひとつ。小さかった事。Pentax K-m、K10D、K20Dを使っていた頃、知人からCanon EOS30Dに17-55mmF2.8に70-200mmF4L ISを借りていたが、Canonの大きさに閉口。格安でそのセットを譲ってくれると言われていたが結局買わなかった。
心は常にキヤノン小僧。数年前、Sonyのイベントにてα7、α6000を1ヶ月、2ヶ月借りた。それで思う訳だ。
「うん、これからはミラーレスの時代だ!」
色々と思考し、Pentaxカメラを捨て自分にマッチしているシステムとしてm4/3を選んだ。m4/3はご存知の通り、一部の口の悪い連中から豆粒センサーと揶揄されるが、そこはキヤノン小僧の気質、やっぱりそう言われても全く傷つかない。それよりもOlympus OM-D E-M1やE-M5markIIで焦点距離によって1秒、E-M1markIIならば2秒でも風景が止まってくれる、これが一番有り難かったりする。
そして散々本ブログにてSonyのデザイン部門は能無し集団と吠えまくっているのに、その能無しがデザインしたα7IIを買っている。オールドレンズの母艦として背景をボケボケにするにはこのカメラしかないと思ったから。今でもカッコ悪いとは思っているが、写真を撮るのに支障はない。
フィルム時代、Canon EOS-1系の外装はプラスチックで安っぽかったし、デザインもどうしてカメラに空気抵抗を求めるのか?、そう疑問に思う程の流線形のカッチョ悪いものだった。でも機能が優れていたから使っていた。そんな訳だからSonyを選んだ時点でそれは節操のないキヤノン小僧でしかないのだ。
私だけでなく、デジタル一眼レフ主体で写真を撮っていた大勢が近頃はSonyのミラーレスカメラを使い始めている。Canonの一眼レフユーザーでさえSonyを使っている人もいる。CanonからミラーレスのEOS RやRPが発売されても中にはSonyを使い続けてる人もいるだろう。
でもそんなSonyユーザーの彼らも根っからのキヤノン小僧なのだった。だからいずれSonyを超えるカメラ、レンズを出してくるメーカーが現れれば全員がそっちを向く。Sonyはキヤノン小僧をどうやって末永く囲うか、それを考えないと将来ヤバイ訳だ。生粋のSonyマニアなんてこの世にしないのだから・・・。
但し!、キヤノン小僧の中には「生粋のキヤノン小僧」がいる。彼らと「心はキヤノン小僧」の我々との違いは・・・。
生粋の小僧はどんな撮影でも己の機材の中で最高級を用意する。フィルム時代だったら気軽なお散歩写真でもEOS-1Vに縦位置グリップを装着してやって来ちゃったりする。
理由を尋ねると「視野率100%じゃないと嫌だから」、確かにハイアマ仕様のEOS-3であっても視野率は97%くらいしか無かったから、リバーサルフィルムを使ってダイレクトプリントするようなカメラマンだと視野率100%に拘るのも判らなくもないが、お散歩写真にEOS-1Vねぇ・・・。
当然レンズはF2.8のズームレンズだ。さすがにEF50mmF1.2LとかEF85mmF1.2Lを使ってお散歩写真するキヤノン小僧を見た事は無いが、EF35mmF1.4LとEF135mmF2Lな人は随分と見た。でもきっと世の中には気軽なお散歩写真でEF50mmF1.2L、EF85mmF1.2Lを使っている生粋の中の生粋、そんなキヤノン小僧もいるに違いない。
ただ彼らは後述のニコンオヤジと違ってせいぜいモーターショーでコンパニオンのオネーサンに張り付くくらいで多くは他人に迷惑を掛けないから・・・。

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